【2005年9月号の続き】
初めて国頭村の安波部落を訪ねたのは、今から34年も前のことであった。きっかけは「泡盛まさひろ」こと合資会社比嘉酒造(現まさひろ酒造株式会社)の比嘉昌広社長(故人)と同社長室での雑談であった。
安波部落ではみんな“まさひろ”を飲んでいる、と言う話である。まさか、と私は疑った。今時、ひとつの銘柄だけを、しかも一部落ごと飲んでいるとは信じ難い。
「仲村君、今晩俺と付き合ってくれ、ヒージャー汁をごちそうするから」と比嘉社長。夕方早々に社長の比嘉酒造を訪ね2人してジックヮンジ在のヒージャー屋に入った。汁をオーダーして、さてサキ(泡盛)棚を見渡すとなんとオール“まさひろ”である。
聞けばこのママさんは安波部落出身だという。泡盛は“まさひろ”以外は置かない、という頑固一徹ぶりのママさんであった。その晩は社長と2人夜明けまで飲み明かした。「よし!安波部落ヘ取材に行こう。」数日して安波部落決行と相成った。
那覇から名護バスターミナルへ、そして辺土名までバスを乗り次ぎ、そこからは安波部落直営のマイクロバスであった。前号(2005年9月号掲載)でも触れたように、安波部落は山間にあって、沖縄の冬では一番寒い所だといわれている。
人口364名(当時)の安波は冷たい寒風が吹いていた。早速売店で泡盛を買おうとしたら、1升びんは品切れときた。“まさひろ”の1升びんは今しがたみんな売れたというのである。前もって連絡しておいた部落の青年たちが、みんな買って青年会長の家へ行っているという返事であった。
私は仕方なく4合びんを3本買い束ねて担いで、青年達の居る所ヘ行ったら、彼たちはすでに“宴たけなわ”であった。サンシンが出るわ、飲むわ歌うわで賑やかさこの上ない。そしてその合間に話を聞いてみると・・・。
(これは昭和47年1月30日付、醸界飲料新聞第16号掲載の記事である。その続きは次号に細かく紹介していきたい)
【2005年11月号に続く】
2005年10月号掲載