クースの理論付けは尚順~10年先の市場展開が正念場~

   

クース(長期間貯蔵した熟成酒) 時代の到来である。県内外を問わず飲む人、たしなまない人も自分流のクースづくりが盛んである。awamori_yomoyama_74_kosyu-structure_the-thriving-even-in-the-general-public地域によっては月に1回20人ぐらいが相集い、5,000円~10,000円を出し合いクジで当った人は、そのお金で1斗壷を買い好きな銘柄の泡盛を詰めて熟成を楽しんでいる。

また、結婚記念に、子供の誕生祝いにしゅろ縄巻きの5升壷や1斗壷に年月日を書いて置く人々もいる。そしてその子の成人式に開封して家族で健康を祝おうという風習も根付きつつある。つまりそのクースに話題性をもたせて楽しもうという進歩的?な考え方だ。

一方では1OO年クースを夢見て飲もうという壮大な飲んべぇーいや失礼千万、愛酒家たちもまた居る。勿論泡盛メーカーたちは今製造能力アップや貯蔵施設の拡大に全力を注いでいて、クースづくりに励んでいる昨今である。

そのクースづくりのそもそもの起源には諸説ある。その一説には琉球王府時代の三司官羽地朝秀による節酒令で首里三ヶの40の酒屋(造り酒屋) が、思うように売れなくなり、だぶった分を工場内の甕に貯め置いたのが始まりだという説である。まぁ後はくどくどと述べないでおこう。

泡盛愛好家たちのクースづくりは古くから多く居たことは知られている通りである。が、それを理論付けて活字に残してくれた消費者は尚順男爵だ。しばらくはこの人のクースづくりについて耳を傾けてみよう。

「古酒は単に沖縄の銘産で片附けては勿体ない。何処から見ても沖縄の宝物の一つだ。元来泡盛の古酒が西洋辺りの葡萄酒の様に、只穴倉に入れ置いて済むものではない。

古酒を作るには最初から此に注ぎ足す用意として、尠(すく)なくも2~3番内至4~5番迄の酒を作って置きながら、数百年の問、蒸発作用に依る減量酒精分の放散等に対し、常に細心の注意を以て本来の風味を損ぜしめない様に貯えて置く苦心をを認識したら、誰しも此に宝物の名称を冠するに於て異論は無いのであろう。

其処で昔の時代なら兎に角、若し今日厳格に県下にある真銘の古酒なるものを検討したら、其所有量は恐らく一石の上には出ないだろうと思われる程に、誠に尠なく得難い品物となっている」。

これは昭和13年~14年代に山里永吉さん(故人)が発行していた月刊琉球に掲載した「鷺泉随筆(二)『古酒の話』の書き出しである。“鷺泉”とは男爵の雅号であるが詳しくは次号
で紹介したい。

山里永吉さんは画家であり作家であって「首里城明け渡し」や「那覇四町昔気質」等有名な作品を世に送り出し、度々芝居にもなり多くの人々に深い感銘を与えている有名な人だ。絵では人物や赤瓦屋根等が印象深い。

尚順男爵とはじっ懇の間柄で3日に1度は松山御殿に呼ばれて夕食を共にしながら夜中まで語り明かした、と山里さんは記している。さて、昭和14年といえば今から66年も前のことである。その時代に「古酒の話」を記していて、しかもそれが何たるかを説いている。そこにこの人物の先見の明を思い知らされるのである。

今、わが琉球泡盛はようやくその良さが見直され、県内県外でまことに順風満帆で飛ばしている。飛ばし過ぎて嬉しい悲鳴をあげている所や、長期間貯蔵熟成酒を心静かに待つ所もあるであろう。

私は思う。琉球泡盛はまだまだ序の口であろう。本格的に貯蔵施設や製造施設の大幅な増設は始まって間もない業者が多い。これから5年先10年先の市場での展開こそがわが琉球泡盛にとっての正念場となるのではなかろうか。

クース(古酒)時代の幕開けである。相手と勝負するには長期間貯えた熟成酒と熟練した杜氏のブレンド技術が大きく左右する時代にすでに突入している。と私は見ているのだが・・・。

【2005年4月号に続く】

2005年3月号掲載

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