“自ら切り開いた市場は、裏切らない”日本酒業界の熱血先生の教え(文・沼田まどか)

  • [公開・発行日] 2018/06/04
    [ 最終更新日 ] 2018/06/15
   

平成30年5月15日(火)に内閣府沖縄総合事務局(那覇市おもろまち)で沖縄振興講演会が開かれた。これは、沖縄総合事務局で沖縄県の振興に携わる職員の資質向上を図るとともに、沖縄振興計画の着実な推進に資することを目的に年に数回開催されているものだ。

今年度第1回目の講師は、岩手県二戸市で「南部美人」という日本酒を醸す株式会社南部美人5代目蔵元の久慈浩介氏がつとめた。日本酒の海外輸出にまつわる話を聞こうと、沖縄県酒造組合の関係者をはじめ、想定を上回る約70名の参加者が集まった。2018_05-15_the-market-opened-up-by-himself-does-not-betray01主催者である沖縄総合事務局の仲間課長補佐に、今回あえて日本酒業界の蔵元を講師として迎えられたきっかけを尋ねたところ「泡盛製造業は沖縄の貴重な地場産業であり、地域経済の振興に重要な役割を果たしています。しかしその一方で、出荷数量は減少傾向にあり、海外輸出プロジェクトを立ち上げ輸出拡大に取り組むなど、官民一体となった取り組みが進められています。本講演会では、同じ酒類製造業である日本酒業界で、日本酒の価値の向上、海外展開、人材育成などに積極的に取り組んでおられる久慈社長にお話を伺い、泡盛業界における海外展開等の更なる取り組みに向けた機運の高まり、また、当局職員の知見を広げることを目的に開催しました」との答えが返ってきた。

久慈社長が家業の酒蔵に戻った90年代といえば、日本酒業界は超低迷期。国内市場だけでは生き残れないと考える有志の蔵元が集まって「日本酒輸出協会」を立ち上げ、1997年から海外進出に取り組み始めた。当時はノウハウもなく、行政の補助金など望むべくもない。外国では、自分が造った酒を差し出すと、現地に住む日本人からも「日本酒は添加物が入っていて悪酔いするから飲まない」と言われる始末。それでも、丁寧に造られた日本酒の美味しさを訴え続け、現地の営業員と供に人気店に足を運んで地元の人たちに飲んでもらう機会を少しずつ増やしながら地道にファンを増やした。

2018_05-15_the-market-opened-up-by-himself-does-not-betray02海外でじわじわと日本酒人気が高まる中、東日本大震災を経て、2013年に政府が日本産のアルコール飲料を「國酒」として本格的にPRし始めたことが大転換期となり、逆風がいっぺんに強い追い風に変わったという。日本酒輸出の立役者の一人である久慈社長は、いまや世界中から引く手あまたの超人気者だ。蔵元自らがお酒を携えて異国まで出かけていくから、現地の人たちの舌に、心に響くのだろう。久慈氏は「泡盛はこの追い風に乗り切れていない」という。「20年かけて地道に踏み固めてきたけもの道が、国のバックアップを得て立派に舗装された高速道路になった。今からでも決して遅くないから、泡盛の造り手にもどんどん乗っかってきてほしい」。

約2時間の熱気あふれる講演の中でもとりわけ印象的だったのは「無謀と思えるようなことにも挑戦し続けて切り開いた市場は、よほどのことがなければ裏切らない」という言葉だ。

今も記憶に新しい2011年の東日本大震災のあと、東北の酒蔵は大打撃を受けた。天変地異は十分「よほどのこと」だが、困難の渦中にあっても東北の地酒を応援してほしいと発信し続けることで、国内外の市場が応えてくれたという。しかも、それまで日本酒を飲まなかった人たちが、震災を機に日本酒を飲んで応援してくれるようになり、今も順調に売り上げを伸ばしている。行動することでマイナスがプラスに転じた好例と言えるだろう。

久慈社長曰く「国際通りは文字通り国際色豊かな観光客であふれているじゃないですか。国際通りに県内全種類の泡盛が飲めるお店はいくつありますか?こんなビジネスチャンス、僕の地元、二戸ではなかなか出合えません。まずは沖縄へやってくる外国人観光客に一杯の泡盛を飲んでもらうだけでも、市場は大きく広がると思いますよ!」

(文・沼田まどか)

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