【2006年10月号の続き】
で、この座談会は終わりましたが、文字通りその後も“座談”は夜中までとうとうと続きました。今から14年も前のことでした。
あぁ人生は諸行無常
諸行無常、14年の間に我が大先輩だった稲嶺盛国大記者、無二の酒友や他の方も黄泉の人となった。稲嶺さんは去る大戦も生き残った強運の男だった。この店には1人また1人と入って来る。そしてカウンターも誰それのと決まっていて、おもむろにそこへ腰掛けるのであった。そして注文もしないのに、すごく痩せた年増の女性がこの客の好きな銘柄の泡盛をコップに注いで置くのであった。
すごくキップのいいこの女性、持たない時はカケで飲ませてくれた。なぜ店の名前が「帰り道」なのかついぞ聞かずじまいだった。しかし、いつもの常連仲間たちは6時前後にはここで顔を揃えるのであるから「帰り道」ではなく、“来る道”だったのであろう。
よくもまぁ毎晩同顔ぶれで話題がつきなかったものだ。少々酔いが回ってくると理屈っぽい話になるのは名嘉先生であった。
県庁勤め上りのインテリだった。それにチャチャを入れるのが筆者であった。中に入ってなだめるのはヤセ細った美人ママさんであった。ニコニコしながら、まぁまぁと話題を変えるのが実に絶妙だった。
が、この名嘉先生や物静かで奥深い人格者金城幸男さんも、もう此の世にいない。せめて健康でピンピンしている福村さんやスマートな美人ママと3人で一度は相集い一献酌み交わしてみたい。しかし「帰り道」も今は無いし、お互い杖をつきつき、どこにしようか。
年々歳々(ねんねんさいさい)花相似たり
歳々年々人同じからず
我が酒友も黄泉へ旅立つのがだんだん多くなってくる。
【2006年12月号に続く】
2006年11月号掲載