掛田勝郎さんとの出合いは確か今から8年前であった。泡盛鑑評会の素人きき酒会で、場所は沖縄ハーバービューホテルホールだった、すぐに解け合い、話題は自然と泡盛に進んでいった。
2次会は奥さんとお2人をお連れして安里の泡盛居酒屋「うりずん」へ流れて行って意気投合、心地よく酔ってしまったおぼえがある。このご夫婦はいつも一緒で来沖して各泡盛メーカーを訪ね歩き、自らの味覚でその蔵の泡盛を吟味し造り人の姿勢なども細かく観察して取引を始めるという完ぺきな商売人である。
実はこのご夫婦神奈川県横須賀市鷹取町1-126で掛田商店という酒販店を営んでいらっしゃる方で、もうかれこれ30年にも及ぼうとしている。泡盛について掛田さんは「今から12年前に自分の営む酒販店で泡盛の販売を手がけるようになり、7年前から本腰を入れて泡盛と向き合うようになった。そこで単なる酒としての泡盛ではなく、沖縄の歴史や泡盛文化などを学び、のめり込むようになりました」と振り返る。
沖縄の人の泡盛文化に対する認識不足については「身近にあり過ぎる泡盛に対し、その文化において甘んじているのではないか」と指摘する。また「泡盛だけが持つ素晴しいクース文化は、今後2年、3年…と浅い年数で考えるのではなく、10年、20年、30年と熟成させることを考え子や孫まで残せるものとして泡盛と付き合っていかなければなりません」と強調している。
掛田さんはメーカーに対しても躊躇なく提言する。「目先だけの利益にとらわれず、歴史や文化としての位置付けをし、これまで明らかにされていない泡盛の未知数も追求して欲しい。私見として容器に製造年度(ヴィンテージ)を明記して欲しい。例えば5年古酒→平成7年製造(2000製)とか。提案として、泡盛の飲み方、料理との調和等」であるがまだまだ続く。
前段の記事中『自らの味覚で』と書いたが、このご夫婦泡盛鑑評会の素人きき酒大会では毎回パーフェクトであるからその味覚は優れている。大会には毎年300人以上の招待客が度数当て、酒類別当てが10点余並び、それを1点づつ当てていくのであるが、パーフェクトは10人に満たない。
これは恐らく天性であろう。このすさまじい泡盛に対する情熱と沖縄への深い思い入れがこの男を突き動かした。5年前に神奈川県で「泡盛文化の会」なるものを発足させ、7月6日に第5回泡盛文化の会を開催している。
毎回200人近くが参加し泡盛を囲んで沖縄を語りながら友情を深め合っているが、会員はオールナイチャーで殆どが泡盛とは〝初対面″。
アンケートには非常に面白い答えや深く考えさせられるものが多い。今では会長に柴田敏隆、幹事に竹山輝雄、松浦美貴雄、高塚和彦、田所生利、大野隆志、掛田勝郎の各氏でこの会を運営するまでになっている。
更にこの面々は神奈川だけではせまく浅い。もっと広い視野で泡盛の良さを分かち合おうと仙台にも泡盛文化の会を発足させ、去る6月15日に第1回大会を開催している。1人のジンブンムチャーが投げた小さな石の輪が今大きく花開きつつある。
敗戦後、琉球泡盛がドン底であえいでいた頃から今日までを眺めてきている者の1人として私はつくづく思うことが多々ある。行政やメーカーの諸手当てや日夜の努力に対しては今回は何も言うまい。消費者の1人として言いたいのはウチナンチューが自ら卑下していた泡盛の時代、沖縄に赴任していたヤマトゥンチュー達が泡盛に貢献してきた功績を忘れてはならない。
次号(2003年9月号)まで掛田さんのことを続けて書いていこうと思う。
2003年8月号掲載