真夏の始まりの蔵まつりににんまり(文/嘉手川学)
6月16日、例年より7日ほど早く沖縄県は梅雨明け宣言した。するととたんに沖縄は初夏ではなく一気に真夏を迎えた。その梅雨明けから2日後の6月18日(土)と19日(日)、那覇市首里末吉町にある瑞穂酒造本社で恒例の「みずほ天龍蔵まつり」が行われた。
ボクは酒造メーカーの蔵まつりと聞いてなぜか既視感を覚え、ここは責任感と義務感と仕事であるという使命感に燃え、「これはどうしも行かねばなるまい」と思い18日土曜日に会場へと向かった。が、その前に、最近、仕事にかこつけ飲む機会の増えたボクを心配する生活感の溢れたカァちゃんが、威圧感を持って「また飲むの?」と聞くので、「そうなんだよ。まったく仕事とは言え大変だよ」と悲壮感を持ってつぶやくと、カァちゃんは今更感をにじませながら送り出したので、背中に悪寒と罪悪感を感じながら家を出たのであった。
酒造所の蔵まつりといえば欠かせないのが「試飲」という、(ボクにとって)目玉的な大きな催しである。まつりに出かけるからには試飲は必然的に行うので、「そこは車で行くわけにはまいるまい」と思った。ボクの家から首里末吉町まで残念なことに直通バスは通っておらず、バスとゆいレールを乗り継いで「行くしかあるまい」となった。家を出たのは12時過ぎ、太陽は頂点に達し炎天下の中バスを待っていると、あまりの暑さにクラクラと「マフックヮブチクン」になりそうだった。
ちなみに「マフックヮブチクン」とは「マフックヮ」が真昼間のことで、転じて沖縄の夏の真昼間は破壊的な暑さから「真夏の真昼の炎天下」という意味合いを持っている。そして「ブチクン」とは「気を失うこと」や「気絶」「卒倒」の意味である。いわば、真夏の真昼間、あまりの暑さに気を失う状態のことをいう。バスを待つあいだ「マフックヮブチクン」なりそうだったが、かろうじてバスに乗り込むとクーラーが程よく効いて、ホッと一息ついた。ゆいレールとの乗り継ぎもうまくいき、死な死なーしないですんだのだけれど、市立那覇病院前駅に下りたとたん、太陽はさらに熱を帯び、駅から会場まで僅かな距離も灼熱となって襲いかかってきた。
ボクはここで「倒れるまい」と踏ん張った。そしてなんとか会場に足を踏み入れると、なんと、泡盛の女王の玉寄美幸さんが笑顔でボクに振る舞い酒を振舞ってくれたのである。ボクはこんなに笑顔でお酒を渡してくれる女性を見るのは久しぶりである。しかもタダで…。ボクは「駆けつけ三杯」の言葉通り、遠慮なく振る舞い酒を立て続けに三杯飲ませてもらった。それにしても、カァちゃんでさえボクに泡盛をすすめるときは、(最近は)笑顔になったことはないのに、こうして笑顔でタダで泡盛をすすめる泡盛の女王って、やっぱり素晴らしい人たちだなぁ、って改めて思ったのであった。
ところで、今日のボクの「行かねばなるまい、車で行くわけにはまいるまい、行くしかあるまい、倒れるまい」という行動が、実はこの「振る舞い酒」を飲むためだけの前フリだったことを見抜いた人はいただろうか。まぁ、「~るまい」が「ふ・るまい酒」にかけてあっただけなんだけど、ちょっとわかりにくかったかなぁ。
まぁ、そんなことなどうでもいい。友寄さんから振る舞い酒をもらい、さっそく、試飲をしようと販売コーナーに向かうと、我社のハンドルキーパー強面おじさんと広報兼渉外兼雑務兼お笑い担当兼試飲担当兼の泡盛ファン女子大生アルバイト社員から企画・マーケティングに昇格した利き酒担当女子大生アルバイト社員がいるではないですか。しかも、すでに振る舞い酒を大盤振る舞いされ、しかも利き酒もすませて試飲しているではないですか。
ボクも負けじとさっそく試飲に取り掛かった。今回、商品説明してくれたのは製造部の比嘉さんと営業部の三尾さん。まずは「瑞穂21世紀の夢44度」。なんと1990年(平成2年)蒸留の5,000本限定26年物のヴィンテージ古酒ではないですか。44度とは思えないほど飲み口が甘くまろやか。口に含んで舌で転がすと華やかな甘い香りが口いっぱいに広がり、全く角がなく厚みのあるアルコール分が喉の奥に落ちてゆき、じんわり体のすみずみに染み渡りながら、芳醇な香りがノドの奥から鼻腔へと抜けていく。「見事な味わいですね」と担当者に聞くと、「これが熟成古酒の美味しさですよね」と比嘉さん。「26年も寝かせた古酒の美味しさがわかるお酒です」と三尾さんもいう。
続いて蔵まつり先行販売で量り売りをしていた「花酵母泡盛 デイゴ酵母仕込み30度」。デイゴ酵母というので少し期待。が、香りは至ってごく普通で、飲み口は軽やかだけど普通の30度だなぁ、と印象も至って普通の泡盛。と思ったのだが、飲んでしばらくあとから鼻腔の奥からかすかに甘い香りが湧き出してきて、ノドの奥に余韻が感じられるような気がし、時間差で旨さが感じられる不思議な味わいがした。比嘉さんは「もろみの時には華やかな香りがしたんですが、蒸留するとその香りが消えたんです。でも、5年、10年と寝かすとその香りが出てくる、面白い酒だと思います」という。その片鱗が時間差による旨さの余韻だったのかもしれないと思った。
次は「黒糖酵母仕込み 原酒53度」。これは黒糖酵母を使用している「美ら燦々」の原酒だという。なんというか、53度とは思えないほどまろやかで飲みやすけど、飲んだあとの食道から胃にかけてふわっと広がる感じが、少しやんちゃな気がする。雑味というか、含んだ成分が全部いい感じで表に出ている気がする。「古酒になった時にいい感じになりそうですね」と聞くと、三尾さんは「美ら燦々の古酒がまだないので何ともいえないですが、可能性はあると思います。いろんな成分が含まれているので楽しみな原酒ですよ」。
今度は「粗濾過44度」。暴れん坊で味が濃い。胸がフワフワしてきて気持ちよくなってしまった。改めてもう一杯試飲。ホントに昔ながらの泡盛の味わいがある。多分、ボクが子供の頃に親父たちが飲んでいたのはこんな泡盛が多かったのでは。飲みなれた人にはこういった多重的な味わいの泡盛が美味しいと思える。なので、寝かして古酒になった時の味わいが楽しみの泡盛といえる。そして「7年古酒43度」。気分がだいぶよくなってきたので、深い味わいで美味しいという印象しかない。このまま、これを試飲し続けたいのだが、工場見学が始まるというアナウンスがあったので工場見学へ向かった。
工場見学を終えると今度は利き酒コーナーへ。結果発表は控えたいと思う。ただ、はっきりいってボクは利き酒コーナーでは惨敗続きである。敗因はわかっている。振る舞い酒と試飲である。「じゃぁ、素面なら当てられるのか」と聞きたい人はいるかもしれないが、酒飲みにそれを聞くのは野暮である。素面でも当てられなかったら、泡盛新聞のスタッフとしてそれこそ目も当てられないことなので、せめて、逃げ道としてそこは残してもらいたい。ボクは、今後も利き酒には振る舞い酒と試飲をやったあとでチャレンジしたいと思っている(きっぱり)。
利き酒を終えて、今度こそゆっくり振る舞い酒を味わいながらステージを見ようと思ったら、振る舞い酒コーナーに泡盛の女王の友寄美幸さんと阿波根あずささんの2人揃っていたので、泡盛の女王になってからの活動を聞いてみた。友寄さんは「就任してから県外であわもりのPR活動が増え、なかなか県内で交流する機会が好きないので、このような祭りがあると、県民の皆さんと直に話をすることができ、泡盛の良さをアピールできるのが嬉しいです」と語った。なんと、今朝、徳島から朝4時半のバスに乗り、関空経由で駆けつけたそうだ。阿波根さんは「いろんな人と素敵な出会いがあり、イチャリバチョーデーという言葉をしみじみ実感しています。泡盛の女王になって毎日、泡盛を飲むようになりました。それまでは飲み会で飲むという感じだったのですが、今は、アンチエージングのために(笑)、家でも楽しむようになりました」といって、振る舞い酒を渡してくれた。
両手に振る舞い酒を持ってステージ前の席に座ると、泡盛関連のイベントがあると必ずいる浜ちゃんと席が一緒になった。浜ちゃんは泡盛好きが高じて奥さんと沖縄に移住したという、風変わりな男だ。だが、自分は下戸なのにわざわざ浜ちゃんのために一緒に移住した奥さんはえらい!!と思うので、泡盛イベントで浜ちゃんに会うと、しょうがないけど一緒に楽しむ中でもある。この日も一緒に振る舞い酒を飲んで楽しんでいたのだが、浜ちゃんと一緒だとボクはいつも酔っ払ってしまうことに気がついたのだ。が、結局この日も祭りが終わると気がつけばゆいレールに乗り、国際通りの屋台村一周年イベントで飲み続け、21時過ぎにヘロヘロになりながらもかろうじてバスで帰宅したのであった。