【業界展望】復帰対策は系列化で~泡盛・洋酒・乳業~(昭和46年1月10日)
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[公開・発行日] 1971/01/10
[ 最終更新日 ] 2016/02/19 - 読む
1971年は市場争奪戦、宣伝・販売も一体化
1970年は沖縄の醸造、飲料水業界にとって大きな“転換期”をみせた年だったといえる。代表的なものではまず、洋酒業界のニッカ、サントリーについで三楽オーシャンが地元の洋酒メーカーであるゴールデン社と資本技術の提携で沖縄進出をしたことがあげられよう。
これで本土の大手洋酒メーカーと地元の系列化が一応は完了したものとみられるが、さらに洋酒輸入業界でも復帰前に一流銘柄の特許権を買い取って、沖縄で醸するという業者もあり、1971年も洋酒業界の動きから目を離すことはできないようだ。
また、島内の味噌・醤油業界でも本土産品の大々的な販売攻勢にあって伸び悩みをみせてはいるが、設備の近代化など来たるべき復帰に対応するための基盤整備を活発に進めており、1971年は復帰対策の締め括りをする年となっている。
さらに乳製品業界の中でも、昨年は明治乳業の沖縄進出についで森永乳業の沖縄進出が完了、本土の両大手メーカーが沖縄で一騎打ちを展開するものと予想される。一方、1970年後半になって、ブルーシール社のヨーグルト発売が、外資免許条件に違反して政治問題にまで発展したことなど洋酒、乳製品業界は例年にない”転換”をみせ、1971年の厳しい企業戦争に備えている。
一方、地元泡盛業界では近促資金を活用して、いち早く設備改善や工場規模の拡張、諸機械の新設等前向きな積極体制で近代化工場への脱皮を図る業者も続々出てきつつあるが、やはりここにも復帰不安はあるようだ。そこで1970年の回顧と1971年の業界展望をしてみた。
洋酒界は系列化完了
洋酒業界は、1970年12月未に、本土の大手洋酒メーカーである三楽オーシャン株式会社(鈴木三千代社長・資本金31億円)が県内洋酒メーカーのゴールデン株式会社(佐久本尚哉社長・資本金15万ドル)と合弁して、沖縄に新会社「沖縄オーシャン株式会社(佐久本尚哉社長・資本金30万ドル」を設立し、1971年1月から本格的な操業を開始した。
これでニッカウイスキー、サントリーウイスキーと共に本土の大手洋酒メーカーと地元メーカーとの系列化が完了したわけであるが(注:モロゾフは未定)、洋酒業界はメーカーの数が多いのと輸入洋酒の攻勢もあって消費市場は戦国時代さながらである。
沖縄のメーカーは資本、技術、市場すべての面で基盤が弱いため、復帰後の本士大手メーカーと対等の販売戦線をしても、とうてい勝ち目のないことは明らかだが、これまでの系列化の例でみるかぎり、沖縄への企業進出は外資法という障壁を越えなければならないために、現段階では地元メーカーのぺースで進められているようだ。
しかし米施設権下にあるために、本土企業の沖縄への進出は外資法の許可が必要であるための、いわば表面的なものにすぎないという批判もある。
つまり、復帰後はすでに合併している新会社内での地元経営者の地位は低下し、親会社である本社の経営方針、販売政策が導入され、これまでの沖縄の経営方針は通用しないような情勢を予言する人もいる。
系列化で復帰対策を終えたとは思われないが、復帰後に予想される親会社の企業経営方針や販売政策が沖縄の合弁会社にも導入される公算が強いが、長いものにはまかれてもしかたがないと“系列化”が“乗っ取り”にならないよう、キメ細かい対策が必要ではなかろうか。
明治、森永の一騎打ち
1970年の沖縄の乳業界の動きは、オキコが明治乳業と合弁して「沖縄明治乳業(資本金15万ドル)」、ゲンキ乳業が森永乳業と合弁して「沖縄森永乳業(資本金20万ドル)」を設立に代表されるように本土一流メーカーとの合弁会社設立が注目を集めた。
沖縄明治は操業開始してから約1年を経過して順調な業績を示しているといわれるが、沖縄森永は11月1日に会社設立を行ない1971年1月1日スタートだから、出足の遅れはいなめないが、需要のピーク時である今夏は明治、森永の激烈なシェア争奪戦が演じられるのは確実だ。
特に沖縄の牛乳愛飲人口が本土の愛飲率の2割程度しか開拓されていないため、潜在愛飲家を獲得するための販売作戦をどのように展開するか、他の業界でも注目している。
本土大手企業との合弁をしたととで、これまでの島内産から“本土一流メーカー品”にイメージチェンジされ、商品の宣伝も本土との一体化で合理的に効果が発揮されるし、何よりも消費者の嗜好心を刺激するのに大きな効果がある。
また、消費者の立場に立ち返ってみた時、単なるイメージチェンジだけでは飽きたらないものがある。つまり、品質、内容の向上が伴なわなければ合弁による恩恵はないといえよう。さらに合弁の目的は、単なる企業の体質改善や利益本位のものでなく、外資導入の趣旨を生かすよう畜産振興面にも力を入れるべきであろう。
いま乳牛飼育農家は明治、森永両社から乳牛の委託飼育、納品契約の解除で大きな打撃を受けている。両メーカーとも地元生産の生乳を原料として使用するよりは、コユトが安い輸入ものの脱脂粉乳を多く使用する傾向が強いといわれるが、これでは合弁による効果を消費者県民に還元することにはつながらない。あくまでも新鮮な生乳を多く使い、栄養価の高い商品をめざす姿勢がなければビッグ・ビジネス本来の社会的責任が問われよう。
さらに、企業は利益追求が第一目標であるといわれながらも、原料生産者である畜産農家や消費者県民の支持なくして繁栄できるものではない。1970年は企業基盤の整備を完了した年であったが、1971年はシェアの拡張を目指して、激しい宣伝合戦、販売合戦を展開する年になりそうだ。
また、地元の小規模な業者も両社の華々しい宣伝、販売合戦の影に隠れて市場の侵食の脅威にさらされているが、新たに巻き返しに出る公算もあり、両大手メーカーにとって思わぬ伏兵ともなろう。
難問山積の泡盛業界
泡盛の場合はすでに地元では頭打ちの状態にあるといわれ、一方がシェアを伸ばせば片方にしわ寄せがくるのは洋酒業界と全く同じであり、その上2大メーカーへの系列化(瑞泉、瑞穂)によるシェアの伸び率は今後更に激しくなるものと予想され、1971年の泡盛業界の天気図は大きな変動が予想されそうだが、中堅業者の巻き返しも又見逃せない一因となってこよう。
いずれにしても、各メーカー共工場余力はもっているので、フル回転させても捌ける市場は本土に向けるべきであり、1971年度の業界の一大目標は“本土に立つ”でなければならない。
又、山積している内面的問題、つまり原料問題、輸出に対する協調問題、連合会長選出問題等にしぼられてこようが、中でも琉球酒造組合連合会の会長選出問題はこじれっぱなしであり、年明けもまだ糸口さえ見出し得ないままの状態であり、早急に解決しなければならない問題であろう。
ここでは具体的な面は割愛するとして、担当長官や所轄大物が頻繁に来島するこの一番大切な状況下にあって、会長選出ができないと云うことは、泡盛業界全般にとって大きな責任問題と云わねばなるまい。
又、今徐々に力を入れてきつつある本土の有名銘柄の清酒も、復帰後は積極攻勢に出てこようし、焼酎にしても進出してくる気配があり、1971年は泡盛業界にとっても楽観と不安が交錯する年であり、それを協同体意識にどう結びつけて復帰を乗り切るかが、この業界の大きな課題となってこよう。
一方容器問題も現在使用しているビール瓶等は、復帰の時点までに泡盛メーカー独自の新容器開発をしなければ、不正競争防止法に触れる恐れもあり、特定新容器発注の準備資金の蓄積も早急に具体化を要すであろうし、それに伴うコスト面や年々上昇していく人件費対策問題等についても十分な検討が加えられてくる時期にあると云えよう。更には特恵措置の具体的なポイントを奈辺に絞って、高度な政治折しょうを展開していくか、業界の英知が要求される年ともなろう。