あわもりやには、酒精度計があって、南蛮ガメの泡盛のアルコール分の度数を測っていた。泡盛には、ただ度数が高ければよいといった旧来の考え方が強く支配していたので、炎の酒といって、ウオッカと同類のように考えていた人が多かった。
醸造の酒である以上、コクもあれば、香りもあり、それにうまさだってある。日本酒の飲み過ぎのしつこさにくらべて、泡盛は男性的で、強烈である。20余年間、日本から切り離された祖国喪失の沖縄住民の精神的な糧として、泡盛が果たした役割は大きいと見ている。
これが、日本酒だと全くやり切れないし、この亜熱帯地域で20余年間じっと忍耐できるものでもあるまい。それだけ酔いの性質が違うのではなかろうか。虐たげられた住民の造った泡盛は、正に天下一品であろうと思う。沖縄の風土に全く適した酒といえる。
ところで、鹿児島のイモ焼酎だって地元で飲めば、結構いいのだし、ビールも地元で飲めばうまいという。「ところかわつて、品かわる」で、酒には貴賤はない。タコの刺身は食べられるが、豚の耳皮刺身は食べられないといった偏見は、許されないところに酒があるのだろう。
ところが酒に対する経済的な嗜好の傾向は、たえず変化するだろうが、よい酒に対する大衆の傾倒は、変ることはないと思う。本筋に話を戻して、酒精度計が、盛んに使用されたのは戦後であった。
敗戦までのあわもりやは店の実績によって配給があり、その酒をお客さんといっても、配給券を持って行列している酒に飢えている大衆相手で、すさまじい取引があるだけで、優雅なサービスは姿を消していた。
昭和19年末頃から、東京のあわもりやも淋しくなって、飲ませるような状態ではなかったと、巣鴨のあわもりやのおばさんがいっていたところでこの酒精度計がなぜ戦後盛んに使用されたかというと、あわもりやでもそうだが、無茶苦茶なヤミ酒時代に入ったからである。
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