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アーカイブ:1970年 7月
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内政委員会余録~酒類消費税~(昭和45年7月30日)
いまだ立法院内政委員会(盛島明秀委員長・自民)では、酒類消費税の改正をめぐって島内の生産企業と輸入企業との間で3年ごしの“アルコール戦争”を展開、税率の据え置きだ、いや値下げだと陳情、参考意見陳述合戦に血道をあげている。… -
比嘉酒造(現まさひろ酒造)が蒸留機の一部改造(昭和45年7月30日)
泡盛まさひろでおなじみの比嘉酒造(現まさひろ酒造)では、去る宣月末蒸留機の一部を改造した。同酒造では、これまで製造工程に幾分の欠陥があることがわかり、その改良を急いでいたもので、これですべての欠陥がなくなったので、自信を… -
泡盛 復帰対策委懇談(昭和45年7月30日)
琉球酒造組合連合会(会長:佐久本政敦氏)では、先に本土復帰に際し、6項目からなる泡盛醸造界要望書、 (1)酒造免許の件 (2)酒税の件 (3)原料米の件 (4)泡盛の販売ルートの件 (5)商標ラベルの… -
“瑞穂酒造”遂に2万石工場完成!!(昭和45年7月30日)
琉球泡盛“古酒瑞穂”でお馴染みの沖縄酒類醸造株式会社(社長:玉那覇有義氏、現:瑞穂酒造株式会社)が、遂に生産能力、実に2万石という業界では勿論、戦前・戦後を通じて初めての大型工場を完成させた。わが沖縄では、琉球泡盛造りと… -
人物寸評② 稲嶺一郎氏(昭和45年7月30日)
“鯨は日本海や東支那海のようなちっぽけな内海では泳がず太平洋で遊水するものだ”これはは或る政治家が稲嶺一郎氏を評した言葉である。又或るジャーナリストは氏を評して“いぶし銀のような底光りのする男”と語っていたが、両者共ずば… -
あわもりや物語 その4(昭和45年7月30日)
戦争中のアルコール不足と砂糖不足は極端であった。「山寺の和尚さん」ではないが、「酒はのみたし、酒はなし」であった。貴重な配給券を手に、長い行列をして酒を買った思い出のある人々は案外多いのではなかろうか。防空壕の中で、食べ… -
落ち付いて飲めるのはいつの世か 文/報道カメラマン 大山逸夫(昭和45年7月30日)
仲村さんが“醸界飲料新聞”をだして1年が過ぎた。何か書いてくれと言われたものの書くのが苦手なボクには、一緒にオナゴのいない?おでん屋で飲みながら語り合うのが、唯一の楽しみであり、得意かもしれない。大・小様々の業界新聞が巷… -
復帰に備え業界の先鞭~15万石工場にオリオンビールが増設~(昭和45年7月30日)
オリオンビールKK(社長:富永寛ニ氏)では、去る3月、3度目の工場増設を完了した。これでオリオンビールKKの生産能力は年産15万石(2万7千キロリット)となった。今度増設された施設は、醗酵貯蔵室、ビン詰め工場、製品倉庫、… -
【座談会】琉球泡盛 今と昔(昭和45年7月30日)
戦後ようやく、といってもごく近年になって琉球泡盛の真価が再認識されるようになって来たことは業界始め吾々沖縄経済発展のためにも喜ばしい現象である。500年の伝統を誇る、吾々の祖先が残してくれた偉大な基幹産業等々、いい古され…