名護市勝山に「羊魂の碑」~照屋規太郎先生の深い思い~

   

〝過ぎたるは猶及ばざるが如し。″

yomoyama_48_sheep_teruya_kitarou_monument過日の日曜日の朝、那覇市安里の居酒屋うりずんのマスター土屋實幸君から電話がかかった。

「本部町伊豆見にピージャー食べに行かんか…」というのである。

ピージャー=ヒージャージョーグー(上戸)という小生を知ってのわが友の誘いである。勿論2つ返事で彼の車で北部へ一直線にひた走った。

曲がりくねった山道を何度も通り抜けて着いた所は四方山に囲まれた静閑な丘に立つ一軒屋。大城新章君と、吉見万喜子君がすでに先発で待っていた。2人共うりずんの常連仲間である。

来る途中でマスターが買ったしこたまの泡盛の封が開きピージャーさしみが出、ピージャー汁が出た。

屠殺の名人を土屋マスターから紹介された。流石はその道の達人、眼光が鋭い。彼のピージャー談議もすでに夢心地で聞き、今思い出そうと一生懸命なのだが、無理な話である。

うまかったなあ、さしみといい、汁といいあの香りは何にたとえられようか。何故かフーチバー(よもぎ)とソーガー(しょうが)が伴ってなかったのは、その土地の習慣なのか。

さて、たらふくごちそうになり礼を述べ、帰りもまた土屋君が運転手である。その晩は小生宅で琉球放送テレビの上間信久常務と土屋君の3人で持ち帰ったピージャーさしみで泡盛を酌み交しながらハイレベルの泡盛談議でおそくまで沸き返った。

そして…、その翌朝も、昼も、夕食もおみやげにもらったピージャー汁である。

さて、明くる朝体がいうことをきかない。起きようにも起きられないのである。体全体がだるくてねむ気がしてどうしようもない。この状態が3、4日間も続いた。

「あ  、過ぎたるは猶及ばざるが如し、」である。クスイヌチチジューミ(薬の効き過ぎ)だったのである。

昔々貧乏だった頃の子供達がたまーにおいしいごちそうにありつき、ガツガツ食べるのを見て、大人たちはよくその子の親に注意したものである。ワタジルガハッチルのを知らないのである。

しかし、こちらは大人も大人最早や老境の身であり、自分自身でおのれを律しなければ救いようはないのである。

昔、名護に照屋規太郎さんというお医者さんが居た。沖縄グラフ社時代何度か同医院を訪ねたことがあるが、話の終り頃になると必ずピージャー談議と相成った。

「冬の寒い時、夏の暑い日には暖を与え、暑気を払いのけてくれるのはピージャー汁だ。だから我々人間さまはピージャーに感謝しなければ相済まぬ。私はピージャージョーグーの同士と相計らい近く勝山に『羊魂の碑』を建立すべくただ今準備を進めているんだよ仲村君」

というのが規太郎先生のくちぐせであった。

勝山公民館に電話してみた。現在、その公民館の横に高さ約1.5メートルの「羊魂の碑」が建立されているそうだ。規太郎先生の意思が実現したのである。

そして、なおかつ公民館横の農村交流センターの食堂ではなんと毎日(木曜日は休み)午前11時~午後8時~9時頃までピージャー汁、さしみ等を提供しているそうだ。

『値段?1000円ですよ』

と同公民館の若い女性の弾んだ声が返ってきた。そしてこう付け加えた。

「1度ぜひいらっしゃって味わってみてくださいよ」。

いやいや、どんなに泡盛とピージャー汁とさしみがぴったりで、天下一の美味だと常日頃豪語してはばからない私でも食傷ぎみの現在しばらくはピージャーのピの字さえ口に出したくない。

ピージャーよ、戦々恐怖とする勿れ、小生がいつか立ち直る日まで長生きしてくれ。しかし、その日もそう遠くはないと思うんヨ。 

 (2003年1月号に続く)

2002年12月号掲載

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