宮里興信先生の功績は大きい ~昔はウンサク又はグジンシュ~

   

「沖縄の酒は、阿波根朝松先生の『沖縄文化の歴史』によれば既に1300年前からつくられていたようである。

1999_07_awamoriyomoyama_miyazatokoushinしかし当時の酒は製造法が現在の泡盛とは全く異なっており、本土の清酒の先祖ともいうべき濁酒(どぶろく)に似たもので、ウンサクまたはグジンシュといわれオミキとして用いられていたようである。その後南方との海外貿易が盛んになり、シャム(今のタイ国)の蒸留酒ラオロンの製造法が伝わり、蒸留器や容器類が取り入れられて現在のような泡盛が醸造されるようになったものと思われる。今より500数十年前のことである」 これは宮里興信琉球大学農芸化学科教授(故人)が今から29年前の1970年1月1日付けの小紙第5号に寄せられた玉稿の抜粋である。

この中で先生は更に泡盛業界に対して「醸造法の工程についてほとんど改善された点はなく、大部分は先祖の残した技術を愚守しているに過ぎない。強いていえば製麹法が機械化されただけであって、それも全琉58工場中僅か数件に過ぎない」と科学的にみてほとんど変わったところはない、と指摘している。

また、昭和10年から同14年迄の年生産高、移出高と戦後昭和43年度のそれを数字で示し、業界の奮起を促している。 宮里先生とは随分長いおつき合いをさせていただいた。琉大が首里崎山に在った時代は頻繁に訪ね醸造学の基礎知識を学んだ。其の上に原稿料なしに何度もご寄稿を懇願したものである。温和な先生はご多忙中にもかかわらず快くお引受け下さった。今考えると実に厚かましく汗願の至りである。

泡盛業者に対しては種こうじ使用のアドバイス、こうじ蓋法による黒こうじ製造法の普及、簡便式製麹機の使用法、第1回泡盛鑑評会から毎回審査委員をつとめるなど宮里先生の泡盛の品質向上発展に尽くされた功績は大きい。29年も前に先生は、〝康照年間″の古酒づくりを唱え、そのモルトづくりが先決だと主張している。

「10年ものが出来れば10年もの何割、5年もの何割、3年もの何割という風にブレンドしていく。ほんとうはブレンダーが居て、仕次ぎによって量産すべきで、100%とはいわないほうがいい。10年もの何%とか表示すれば良いのでは」と提言している。 先生は1983年5月12日午後4時15分、68歳でこの世を去った。30年後の今日の泡盛の推移を先生は天国からどのように評価をしていらっしゃるのだろうか。

1999年7月号掲載  

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