―備忘録―②―(5)(平成25年8月17日)

  • [公開・発行日] 2013/08/17
    [ 最終更新日 ] 2015/10/06
   

創刊45周年を顧みて・・・
車えびの夏休みだって・・・

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叙勲姿の故仲田輝信さん

昔の話になるが伊是名酒造の仲田輝信社長と伊是名島へ行った。

話はこうである。「伊是名の海ではいざりで沢山の車えびが採れるんだよ仲村君、これを泡盛を飲みながら食べると最高にうまいんだ、君、一緒に行くかね?」「うーん泡盛と車えびのさしみですか、ぜひ連れて行って下さいよ」と私。輝信さんがあの頃は那覇市上間の高台で縫製業を手広く営んで居た頃だ。なんでも三井とかの小会社と契約して作業服を澤山作っていた。勿論本業は「常磐」の銘柄で泡盛を造っていたが、工場は仲田という支配人に任せていた。ちょうど夏場であった。私の車で2人本部町の新港駐車場に車を置いて一路伊是名島へ。仲田支配人に迎えられて伊是名酒造に行った。当時の工場は小さく昔ながらの造り酒屋であった。工場前庭先では雀たちが原料米の落ち粒を盛んについばんでいたが人が近寄ってもビクともしない。のどかな部落だった。

工場を一巡した後民宿に入った。なんでも輝信ヤッチーの弟さんの経営だそうで、弟さんは伊是名郵便局長でもあった。日没である。輝信さんが仲村君、支配人は伊江でいざりの準備をして浜に行くそうだから僕達は護岸で泡盛でも飲みながら“大漁”を待とうや、ということで浜へ急いだ。チビリチビリ2人やっていると、仲田支配人が“完全武装”で現われた。ゴム長にゆんでには獲物入れの網、そして右手にはたいまつとどこから見ても“イヘヤウミンチュー”である。私はこの勇姿を見てうーんこれはやるな、と直感した。側の輝信ヤッチーも頼もしい奴だという顔つきでニコニコしている。いよいよ“出陣”である。夏の宵の遠浅にはいざり火は多く松明がゆれ動いている。すでに輝信ヤッチーは上機嫌である。

心の清いイヒャンチュ ドロボーの居ない島だ

一時間も経ったであろうか。わが仲田支配人が重い足を引きづって帰って来た。出立ちの勇姿は無く、どこかしょんぼりしている。「どうだったか」と仲田ヤッチーの弾んだ声に仲田支配人は小さな声で「今日はエビの“夏休み”だそうです」。輝信ヤッチーと2人はすでに「常磐」の4合びんをカラジャキで酔っている。人の良い輝信ヤッチーは、うーん、“彼達も”夏休みか、とひと言。「宿に行って飲み直そうや仲村君」。民宿で弟の勇さんと3人で痛飲したのも楽しい思い出となっている。夜は雨戸も閉めないで寝る。ドロボーも居ない静かな伊是名島であった。財布を落としても拾った人がその通りの石垣に置いていく島である。今もそうであろうか。その後輝信ヤッチーとは顔を合わすとお互いに微笑したものである。善人だった輝信社長は温和の中にもヤンバルンチュらしく連合会の総会などでは鋭く質問をしていた。

わが愛すべき輝信ヤッチーは叙勲を受けている。平成7年3月25日没。享年73歳。
現在、合資会社伊是名酒造は娘婿の宮城秀夫社長と輝信氏の孫の仲田輝仁氏が補佐役で名酒“常磐”の製造販売に懸命だ。名酒“常磐”を飲みながらこの頁を締めたい。

記者メモ
私の生まれ育ちは本部町字具志堅で伊是名島は指呼の間である。
去る大戦時には島の最西端の建物がアメリカの空襲で一日中燃えていた。製糖工場だったという。特攻機が1機か2機が伊江島沖のアメリカ艦隊に急降下して突っ込んでいく。この特攻機が鹿児島の知覧飛行場から飛び立ってくるコースも必ず伊是名島の上空であった。此の特攻隊員たちも私と同世代の若い人々であった。此の頁を書きながら伊是名島の故仲田輝信さんを偲びながらしみじみと当時を思い浮かべるのである・・・。
平成25年8月17日掲載記事

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