酒友は一人逝きまた一人~業界紙ほどむつかしいのは無い~

   

【2006年10月号の続き】

金城幸男

awamori_yomoyama_93_my-fellow-drinkers-were-also-saddled-one-person-died醸界新聞がよく25年間も頑張ったことに先ず敬意を表したい。またこの業界紙に協力して広告を出している業者にも同様に敬意を表します。が、この新聞を読みたいという人が居ますが、そこには配られていない。例えば千円でもいい、この新聞を各家庭にまで入るようにして欲しい。泡盛を飲む人の家庭にはぜひ入れて欲しい。

 

名嘉正八郎

僕は送料含めて2千円でもいいから送って欲しいところですよ。

 

稲嶺盛園

掲載する広告でもこのメーカーの生いたちとか入れると面白いと思うが。

 

金城幸男

読む会員を募って2千円でもいから会員に送る。そうすることによってお互いの情報交換もできます。

 

名嘉正八郎

そんなジンブンなくてどうしますか仲村さん。

 

金城幸男

まだまだ僕はこの仲村さんの新聞には文句や提言がありますよ。

 

福村安弘

創刊以来ウンジュ一人でやって来たんですか。

 

本紙

ハイそうです。

 

福村安弘

業界の皆さんの泡盛普及に貢献されてきた訳ですから非常にすばらしいことですよ。これからも今まで通りにやっていかれるのかどうか、拡大していくとか、金城さんのおっしゃる通り会員を増やすべきではないでしょうか。

 

稲嶺盛園

新聞の中でも業界専門紙ほど難しい新聞はない。仲村君一人では精一杯やっていますよね、25年だもの。とにかく仲村君、“がんばれ”と僕は言って創刊25周年のはなむけにしたい。

 

本紙

ではこの辺で。長時間ありがとうございました。

 

で、この座談会は終わりましたが、文字通りその後も“座談”は夜中までとうとうと続きました。今から14年も前のことでした。

あぁ人生は諸行無常

諸行無常、14年の間に我が大先輩だった稲嶺盛国大記者、無二の酒友や他の方も黄泉の人となった。稲嶺さんは去る大戦も生き残った強運の男だった。この店には1人また1人と入って来る。そしてカウンターも誰それのと決まっていて、おもむろにそこへ腰掛けるのであった。そして注文もしないのに、すごく痩せた年増の女性がこの客の好きな銘柄の泡盛をコップに注いで置くのであった。

すごくキップのいいこの女性、持たない時はカケで飲ませてくれた。なぜ店の名前が「帰り道」なのかついぞ聞かずじまいだった。しかし、いつもの常連仲間たちは6時前後にはここで顔を揃えるのであるから「帰り道」ではなく、“来る道”だったのであろう。

よくもまぁ毎晩同顔ぶれで話題がつきなかったものだ。少々酔いが回ってくると理屈っぽい話になるのは名嘉先生であった。

県庁勤め上りのインテリだった。それにチャチャを入れるのが筆者であった。中に入ってなだめるのはヤセ細った美人ママさんであった。ニコニコしながら、まぁまぁと話題を変えるのが実に絶妙だった。

が、この名嘉先生や物静かで奥深い人格者金城幸男さんも、もう此の世にいない。せめて健康でピンピンしている福村さんやスマートな美人ママと3人で一度は相集い一献酌み交わしてみたい。しかし「帰り道」も今は無いし、お互い杖をつきつき、どこにしようか。

年々歳々(ねんねんさいさい)花相似たり
歳々年々人同じからず

我が酒友も黄泉へ旅立つのがだんだん多くなってくる。

【2006年12月号に続く】

2006年11月号掲載

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