重機で船に吊り上げらる~下地潔(きよし)社長とはウマが合った~

   

酒飲みの失敗談は誰しもひとつやふたつ位いはあるものである。昔の話。私には数えきれないほどあるがawamori_yomoyama_86_nakamura-seikou_awamori-drunk_failure-story_vol1、この号あたりではそれの幾つかを紹介して赤恥をかきたい。

沖縄県泡盛同好会の副会長だった座間味宗徳さんと八重山へ取材に行った時、2泊してから帰りはどうせ急ぐ旅でもないから船にしようということになった。当時は有村産業と琉球海運が“那覇~石垣~宮古”を経由して運行していて、石垣港から平良港を経由する便もあった。

僕たちは宮古経由に乗船した。5,000トンクラスで揺れもなく、船室も実にゆったりとしていた。で、この両社の船とも出航は必ず夕方で、平良港に入港して2時間で荷物を下ろしたり乗せたりするのであった。

2人は船中でどうせ退屈するより下船して1杯飲んで来ようやっと接岸を待って降りたのである。幸い西里大通りの菊乃露酒造が未だ開いていて、下地潔社長も居た。アレアレということで下地社長の案内で飲み屋へくり出して行った。

まぁ、2人は云うに及ばず下地社長も好きな方であった。話は尽きることなく笑いの渦で花が咲いた。腕時計を盛んに気にする座間味さんが言った。「仲村さん先に行くからね」。しかし面白おかしく話込んでいる下地社長が下から私の足をつついている。「まだいいじゃないか」という合図である。「そういえば宮古に来てあのママさんの店に顔を出さないとママさんが怒りますよ仲村さん」ときた。

顔立ちのいいママさんの店へ行き、酔った2人はヘタクソながらカラオケを交互に歌いはじめたのである。そのうち話を聞いて知っているママさんが「仲村さん出航前ですよ、タクシーを呼んでありますからね、ハイこれは船の中で飲んでハイこれはおつまみのおべんとう。また今度いらっしゃいよ」。港でタクシーを降りたら船はすでに錨をあげて岸壁を離れつつあるではないか。

デッキで首を長~くして私を待っている座間味さんが見える。「オーイ仲村さーん。早く早く」という声は聞こえるが、はしごも最早半分は上がっていてどうしようもない。そこへ甲板長?らしき船員が来て船のエンジンを切って接岸させたのであるが、はしごは下りてこない。

ヤードで後片付けをしていた重機に向かって甲板長が叫んだ。「この男をカゴに入れて吊り上げなさい」。カゴとは豚や山羊、牛などを入れてデッキまで吊り上げる周囲は金網で底は鉄板敷になっている。

クレーンの運転手は“さぁこれに入れ”と盛んに云っているが、これに乗って高いデッキまで落っこちないか、酔っ払っていても大いに不安である。しかしこんなにデッカイ貨客船には何百人ものお客さんや荷物が積み込まれているのだ。

エーイママよと飛び乗った。しかし実のところ非常に怖かった。皆に深く頭を下げた。船室に戻ってしばらくは座間味さんも無言であった。しかし、やおら落とさずにしっかりと握りしめて来た泡盛とママさん手作りのお弁当を開くと座間味副会長の顔にも笑みが浮かんできた。アッ、スープは残らずパーだったなあ。わが酒ジョーグーの失敗談その(1)である。

それにしても下地潔社長とは午(うま)が合ったな。同じ干支だったからよく馬が合った。那覇に出て来る時には那覇の飲み屋で、平良へ行く時には必ず同社を訪ねて6時の終業まで話し合い、それを過ぎると、“さぁ行こうか”という間柄であった。

いつだったか、宮古へ行った時など今晩は上野村の友人の家にお祝い事があるから一緒に行こう、との誘いに2つ返事でついて行きごちそうをたら腹したのであるが、全くの見ず知らずで初めての家でオ卜ーリをさせられ、酔いつぶれてしまった事なども、昨日今日のようで懐かしく思い出される。

この愛すべし我が友も最早やこの世には居ない。

(仲村征幸 酒の失敗談 その1)

2006年4月号掲載

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