神奈川泡盛文化の会で講演~神村酒造の会長営業部長に感謝~

   

神奈川の「泡盛文化の会」の仕掛け人、掛田勝朗さんからその発足当初から一度はぜひ横浜に来て泡感講話をして欲しい、との要望があった。awamori_yomoyama_78_kanagawa-awamori-culture-meeting_kamimurasyuzouハイ、行くようにします、とその都度返事をしていたが、私は船での旅は楽しいがヒコーキでのそれはあまり乗り気ではない。

那覇から石垣までだったら1時間足らずで着くからそんなに苦痛ではない、が、羽田までだと2時間余もゆられるのであるから私にとっては相当我慢しなければならない。途中で泡盛の1合入りのコップでも出してくれると、それをチビリチビリやって精神的にリラックスするのではと考えたりする。

それに年齢的にヒコーキに限らず、駅の階段の上り下りや列車の乗り変え等も今ではとても難儀である。再三の掛田さんのお誘いに今回行くことに決めたのは神村酒造の神村盛也会長と中里迅志(はやし)営業部長が一緒に行くから大丈夫ですよ、とのひと言に気を強くしたからであった。

着いたのが7月9日。早速その晩から“前夜祭”である。ホテルからそう遠くはない通り沿いに「琉球酒家・がちま家」なる居酒屋ヘ3人飛び込んだ。

ナンダ?これは。那覇の居酒屋以上に泡盛の種類が豊富に揃えてあるではないか。オドロキと嬉しさで3人は明日のことなど忘れてグイグイ。時計は午前3時を回っていた。起きづらかったが今日が本番である。

講演は1時間ちょっとで無事に済んだ。会場には約1OO名近くが詰めかけていたが、どの顔も真剣そのもので、実に気持ちよくしゃべることができて嬉しかった。1人としてあくびや雑談する方は居なかった。

しかも皆若い受講者で神奈川県出身者と聞いた。いや遠く仙台から馳せ参じた美人も居た。新幹線で3時間も費やして泊まりがけで参加と聞いてビックリした。「仙台泡盛文化の会」の事務局長の栗原和子さんという方であった。

全く生まれて初めて来たこの土地で、こんなたくさんの人々がわが琉球泡盛に理解を示され、取り扱いそれを広め、そして愛飲していらっしゃる姿には、ただただ深く頭が下がる思いでいっぱいであった。

横浜市西区みなとみらいのランドマークタワー13階での講演が終って、文化の会の例会場は横浜メルバルクのホールで行われた。18時からの開催だったが、その時間前にすでに受付前には大勢の会員たちが待っていた。

会長は柴田敏隆さんという方だが学者である。幾つもの著書もある。物静かなお人だ。去る大戦では、旧制中学生で動員された戦争体験者で苦労をされた方だ。

会場には新里修一県酒運副会長や多くの泡盛メーカーに混じって泡盛の女王のあでやかな姿もあった。余興には琉舞やお楽しみ抽せん会等もあって賑わった。さて・・・会もお開きになって、今晩は県酒連の新里副会長と「4人組」でまた昨晩の「がちま家」行きとは相成った。その晩も又午前3時まで飲んだ。

今日は掛田商店行きである。幸いにも月曜日は休業日であった。沖縄の名護や石垣市の通りに似たような落ち着いた通りに面した所に掛田商店はあった。店内には全国の酒類が所せましとびっしり並んでいた。

そこで掛目さんとって置きの50年クースを味見させてくれた。琉泊色の液体は口中でトロリと溶けた。横浜まで来て良かった。疲れがとれた。さぁ、昼飯でも食べましょうかと掛田さんの運転する乗用車は緑深い山間を縫って相当の距離を走った。

静寂そのものの雰囲気でごちそうが出されてきた。しかし、昨晩の痛飲がたたって全く食欲がない。今もって掛田さんに対しては申しわけない気持ちでいっぱいだ。同時に今回私に泡盛の講話をさせて下さった柴田会長、掛田さんご夫婦、仙台の栗原事務局長並びに「神奈川泡盛文化の会」の会員の皆様方に本誌上をお借りして心より厚くお礼を申し上げます。

ありがとうございました。老骨にムチ打って横浜まで行って良かったなぁ、今しみじみとその余韻に耽(ふけ)っているところである。「神奈川泡盛文化の会」の益々のご発展を祈るや切である。

それにしても・・・横浜は遠いですね神村会長、中里営業部長!ご両人には往き帰り共手足まといになり、且つ何くれとお世話になり感謝致しております。またご一緒に?

2005年8月号掲載

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