沖縄で唯一の極上クース~去る大戦で生き残る識名の壷~

   

ここに紹介するのはクースジャキの極付である。awamori_yomoyama_76_100-year-old-kosyu_shikina-syuzou昭和48年6月1日付の小紙第25号に「この酒、100歳です」の見出しで100年クース記事が載っている。

トップリードに曰く
「遠く琉球王朝時代から珍重されてきた琉球泡盛も何百年もの何十年ものというふうに、長年貯蔵されたものが古酒(クース)として重宝がられてきたが、去る大戦でそれも全部灰じんに帰した。

幸いにもここにただひとつ、一醸造家が今大戦中首里赤田の工場を離れるときに屋敷内の土中深く埋めたタイの南ばんがめ入りの泡盛が、あの激戦の中を難を逃れて無事だったのである。

しゅろ縄巻きの痕跡が壷にくっきりと刻み込まれているのが100年の歳月を如実に物語っている」。

で、本文は

「“静”としてずっしりとした風格はまさに100歳にふさわしく神々しいばかり。ゆっくりと左右に振る、そしたら中でコ卜、コ卜と100歳の酒が応えてくれた・・・」。

所有者の識名謙識名酒造場社長(那覇市大道366)の話
「南部から北部まで避難して戦争が終ったので帰って来てみたら1本は割られていた。多分よく状況を知った人が中身を飲んで割ったのではないだろうか、壷まで割らなくてもよさそうなものを。現在、2斗5升と1斗5升の2本が残っております。

あれは確か1950年頃だと思いますが、作家の火野葦平さんが沖縄タイムスの招へいで来島された時に、幾世紀も沖縄の土壌が育んできた伝統の琉球泡盛も今次大戦で全滅か、とタイムス紙上で嘆いておられる記事を父盛恒(1958年没)が見て、これほど琉球泡盛を理解し愛し続けている人ならばと感激して、当時の高嶺朝光社長を通じてこの古酒を差し上げたところ、帰京後その感慨を文芸春秋に掲載してありました。

昔は古酒づくりは一説によると、うどぅんうどぅん(御殿)、例えば尚家などから基酒(アヒャー)を分けてきてつくったとも伝えられておりますが、クース(古酒)というものはそのままにして置くと“ダレ”てくるのであまり活気がなく、新酒を入れることによって活気がでてくるものです。

50年もの、15年もの、7~8年もの、2~3年もの、新酒という順に置いて、古いものから1合汲むと順々に注ぎ足していく訳ですね。荒けずりの酒を長くねかすとよい酒が生まれるといわれております。

また、かめは熟成が早く、ガラスびんはおそい。おそいが、しかし良い古酒ができます・・・。」

東思納寛惇や伊江男しゃく等々あまた有名人が識名さんを訪ね、この極上のクースを味見しているが、私みたいな新米記者にはついぞ味見することはできなかった。

後年NHK沖縄に小野というデレクターが赴任して来た。この男、大分の出身だったが、したたかな泡盛ジョーグー(いや失礼、泡盛の理解者)で、是非識名さんを紹介して欲しいと電話がかかってきた。つまりテレビ取材をしたいという趣旨である。案の定断られた。

しかし根気よく説明して。ようやく撮影だけならという条件でOKした。小野さんは5~6人のスタッフでやってきた。さて、話が弾んで人のいい識名さんは、100歳のクースの入った壷のフタを静かに抜いたのである。途端に部屋いっぱいに甘い香りが広がった。親指大の小さなグラスに注いで、みんなにさぁどうぞと差し出されたあの香りと味は神秘的でさえあった。

40年近くも琉球泡盛を見つめ続けて来ている私にとって、こんなにうまいクースは今日に至るも未だ味わった事はない。小野さんとは、その後も度々居酒屋で泡盛を汲みながら沖縄を語り合ったものである。

沖縄を去り、松山へ転勤して行く時にはささやかな送別宴を催し、泡盛でかんぱいしたのであるが、あの極上のクースは今年で132歳を迎えたことになる。識名酒造はその後、戦前の工場だった那覇市首里赤田町に移り現在に至っている。

2005年5月号掲載

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