首里物産の宇根底社長が泡盛全銘柄を本土へ出荷【2007年10月掲載】

   

2007_10_1佐藤東男さんは後に全国卸売酒販組合中央会の専務理事に迎えられ、其処で敏腕を振るった。中央会とは文字通り全国の卸売酒販の組織のトップである。その時代に東京池袋の西武百貨店で初めて沖縄の大物産展が開催された。オキナワンドーナツ(砂糖天ぷら)からヒラヤチー、マーラン船の模型づくり、空手道具づくりやら、とにかく沖縄で産する物が所狭しと同店の催事場いっぱいに並べられ即売されたのである。

これが第一回沖縄大物産フェアである。勿論、わが名酒琉球泡盛の全銘柄もオリオンビールも広いスペースに陳列され、飛ぶような売れ行きだった。この全銘柄を出店したのが宇根底講順という琉球泡盛だけを全国へ手広く商っている首里物産の社長であった。全銘柄の沖縄の泡盛をヤマトゥへ移出したのは戦前戦後を通じこの字根底社長が初めてである。「仲村さん、旅費は私がもつから一緒に池袋の西武百貨店に行こう」と宇根底さんに誘われた。タダで行って、しかも取材までできるのであるから私は喜び勇んで同行した。西武百貨店は全く初めて見てビックリした。こんなデッカイ建物は見たことがない。何しろ道路沿いの壁の長さが300メートルもあるという。

中の幾つかの売り場に立っている娘さん達はどれも人形みたいに色白くかわいい。田舎者にとっては抱きつきたくなるような愛くるしさであった。何と真ッ先に泡盛コーナーに顔を見せたのは佐藤東男(はるお)さんであった。酒販組合中央会から遠いところまで馳せ参じて来たのであった。泡盛とオリオンビールコーナーを字根底社長の説明でじっくり見て廻った。そしてコーナー横の一服処に腰を下ろして私を呼んだ。オリオンの中ジョッキを注文した。一緒に飲みながら二人談笑しながら、その後の沖縄での泡盛を語り佐藤さんは帰って行った。佐藤さんとの思い出にはいろいろあったが、こんな事もあった。沖縄ハーバービューホテルに泡盛事業者やその関係者を集めて講演があった時に、佐藤さんが話の中で醸界飲料新聞のあの仲村の泡盛に対するすごい意気込みを聞いたというのだ。筆者は当時同ホテルの別室で他の取材を終えて出て来た所で八重山の請福酒造の漢那憲副社長(故人)とバッタリ会い同氏から話を聞いてビックリしたものである。憲副社長によれば「公の講演で仲村さんの事を聞かされ、大いに反省させられた」と語っていた。後日、同ホテルで泡盛事業者の集まりに同席して取材した時には、会合が終わって帰る時に一階の出口で連合会の当銘専務に呼び止められた。佐藤局長(沖縄国税事務所所長)があの仲村を一緒に連れて来い、と言われたので「是非一緒に行ってくれ」という。つまり会長と専務、それに佐藤さんが二次会をやろうという訳だ。会長と専務が何等気にかけてくれないのに、佐藤さんの気配りには頭が下がった。しかもその場所は琉球銀行本店の後側の一流の琉球料理店である。いろんな料理が次々に出て来たが、私には喉から通りにくかった。ジョークを飛ばしながら時としてシンラツな言葉がしばしば出た。佐藤さんの独特のブラックユーモアである。案内した側にはどう受け止められたか私には知らない。しかし大体の意味は見当がついた。佐藤さんは首里物産の宇根底社長を高く評価していた。何しろ沖縄で泡盛がいまだ売れるのかどうかもわからない時代に首里池端の龍漂池のほとりに小さなビルの一階を間借りして「琉球泡盛専門卸商」の看板を掲げ堂々と泡盛だけで商売を始めた人物だからである。そしてこの人が一番最後に目をつけ、売り出したのが本部町の山川酒造の古酒であった。それに徐々に各メーカーの古酒や一般酒を集めていった。その行動を見ていたメー力ーの中には、泡盛だけで商売が出来るものか、二、三ケ月も保つかなと言う人が居たのも事実である。そんな彼の姿を佐藤さんは見て知って居るから池袋の西武百貨店に出品したときにはさもありなんとおもったであろう。長居はできない多忙な身であった佐藤さんは、頑張って下さいね、と宇根底社長を激励して帰って行った。【2007年11月号掲載に続く】

200710月号掲載

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