【主張】主体性のない琉酒連(昭和47年1月30日)

  • [公開・発行日] 1972/01/30
    [ 最終更新日 ] 2016/05/18
   

1972_1_30_ryukyu-brewing-unions_activities-with-independence1972年の幕開けである。27年間という4半世紀の長期に亘る異民族支配からの開放である。晴れて“親元”へ帰れる日であるが、沖縄にとっては前途多難な年である。先ずは復帰したことは喜ばしいことだ、とする人、反対する人と様々な思惑が交錯しながら“復帰の年”はやって来た。それはまだ、各人が大いに自覚する年でもある。

醸界もそれぞれ対処策を打ちたて余念のない昨今だが、泡盛業界もいろいろと模索し吟味を繰り返している。しかし、本来ならすでに幾多の当面する問題は決定され、それに肉付けをする段階でなければならない時期である。

にもかかわらず、1月24日現在にひとつ決定をみていないと云うことはどうしたことだろうか。なかでも容器開発問題、特別措置による減税分の取り扱い問題、原料米問題等は火急の問題だが、そのうちどれひとつとして解決できないと云うザマは連合会の主体性のなさを痛感せざる得ない。

過去の問題を引き出して云々するつもりはないが、過日、泡盛のガン説が巷間(こうかん)に吹きまくった。いわゆる某日刊紙に出たその日にどうして臨機応変な手を打ち得なかったのかも不思議でならない。これは役員の大きな後手であり、失策といわれるゆえんである。

一般的な営利会社の場合、その会社が赤字経営ならば、その会社の重役が献身的な人間であれば給与返上して会社立て直しに奔走するであろう。何も右にならえとは指摘したくないが、東奔西走している割には成果の足跡があまりみられないのは、各業者が指摘している通りである。

緊急理事会と云い復帰対策委員会と云い集って出るのはお茶とお菓子、それに鶏口よろしく大声で自己主張だけとは情けないと云わざる得ない。ましてや今頃になってである。

これではアドバイザーとして招かれた主税局にもソッポを向かれることにもなりかねない。第一に指摘したいのは連合会に具体策がなく、これと云った連合会案がないということであろう。

役員が曲がりなりにも信任を受けている間は、柔と剛に英知がプラスされ要求されなければならないことは論をまたない。一にもニにも業者の鼻息だけ伺っていて果たしてコトがまとまるかどうか疑問である。

遅き失した感は強いが、業者個々の意見も出尽くした現在、速やかに連合会案を自らまとめて、あとの肉付けを委員や理事間でしていくようなことでなければ、今に信任を欠くような結果にもなりかねないのではなかろうか。集まるたびごとにお茶をガブガブで閉会とは昔々的感覚も甚しいと云わざる得ない。

この際、誰々試案も結構、具体的な建設的試案であれば論議され煮詰められて実行されるであろう。税率の5ヶ年間の特別措置の問題をもう少し掘り下げて考えると、乱売云々との考え方が多いようだが、現在でも南部や先島、他でも見られるが、自社製品に対する自信のある業者にとってはさしても問題にはならないのではなかろうか。

消費者としては或いは喜ぶであろうが、しかし愛飲者は“味”を求める時代であり、安かろうは不味かろうに通ずると云うことは業界も認識すべきであろう。約200万ドルの積立案はそれなりにまとめるのもよいが、しかし乱売云々は愛飲者には通用しないであろう。

問題は今後の競合相手は洋酒に的を絞るべきであり、対洋酒対策を念頭において種々の問題も解決していかなければならないであろう。

ともあれ琉酒連(琉球酒造組合連合会)はしっかりしたバックボーンをもって、公的立場にあることを再認識して主体的な役割を果たす使命に目覚めなければ、業界はついてこないであろう。結果的に全業者にとってマイナスにならないよう、このような重大な転換期にあたり特にその姿勢が強く望まれよう。

業界内には既に以前から幾多の火が燃えているが、果たしてその事実は何を意味しているのであろうか?

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