今、琉球泡盛が確実にその売り上げ数量を伸ばしつつある。小紙創刊当時の三四年前の年間総移出数量は6300kl(3万5000石)を上下していたのであるから約四倍の伸び率である。
即ち34年後の平成12年の総移出数量は21976kl(12万2088石)となっている。
昭和51年から平成11年までの推移は別表の通りであるが、その年によっては前年比落ち込んだりはしているものの、総移出数量は徐々に上昇してきている。
伸びてきている理由はいろいろあるが、その第一は品質の一段の向上があげられると私は思う。
敗戦から相当の期間、琉球泡盛は確かに不味かった。臭いがきつくてベストソーダーのクリーム色や同じく県産の5セントコーラーで割って飲んだものである。そして翌日は頭が重くなった。酒は甘味で痛飲すると必ず頭に残ることを私は学んだ。
その臭い泡盛の当時からひたすら水割りで晩酌をしていた先輩からしつこく説教され、しぶしぶ従ったのが私の水割りの始まりであった。その独特の臭いは沖縄が本土へ復帰してからもしばらくはあった。
復帰の年に沖縄国税事務所に赴任して来たのが初代主任鑑定官の西谷尚道さんである。この人の技術指導の功績は大きい。
これまでの手探り醸造から科学的に製造されるようになり、業者も日夜の努力を重ねてきた。そのうち2世3世たちが造りの専門大学を出て工場入りしてきたのも大きい、と私は見ている。
貯蔵施設も一応は整い各社それ相当の貯蔵もしていた。瑞泉酒造の社長は
「消費者の皆さんがそんなにクースが売れて続くかと気をおつかいでしたらどうぞうちの貯蔵場をごらん下さい、心配はご無用ですよ」
と自信を見せていた。実に頼もしいメーカーである。
琉球泡盛は今後更に飛躍していく。一般酒もクースも含めて言えることであるが、特にクースが本土市場で重視されていくであろう。
ただ大いに気になるのは一般酒・クースとも価格の乱れである。売る側からの要望もあるという話も聞くが、それに左右されては基本をなくしてしまう。
またクースはひとり沖縄だけの特産ではない。九州の焼酎たちも以前から多量の貯蔵酒を所有しているであろう。近い将来これ等との戦いもくるであろう。
しかし、琉球泡盛のクースはその品質と年輪に於いてはるかに先を進んでいる。
本土市場で、特に泡盛のクースの人気が高まりつつある今、一般酒も含めて価格の整理は急がねばならない最重要な課題である。