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〔2003年2月号のつづき〕咲元酒造合資会社の先代、政良さん(故人)にはこんな思い出深い話がある。民族学者の東恩納寛惇氏が昭和の初期頃に文部省から派遣されシャム(現タイ国)を調査した時、かの国の地酒ラオ・ロンを首里の酒造…
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渓雲起って 日は首里城に沈み 風楼に満ちて 鐘の音万里に響く 泡盛の美酒夜光のに和すれば 忽焉(こつえん)として復酔う通称トゥンジムイこと那覇市首里鳥堀町は首里3カ、つまり崎山、赤田の北東に位置する集落で戦前泡盛製造業者…
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〔2002年12月号からの続き〕確か以前にもこの欄で書いたおぼえがあるが、私の生まれ育ちは本部町字具志堅で、この町は27ヵ字から成り立っているが、字具志堅と字瀬底は山羊をピージャーと称している。瀬底のピージャーオーラセー…
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〝過ぎたるは猶及ばざるが如し。″過日の日曜日の朝、那覇市安里の居酒屋うりずんのマスター土屋實幸君から電話がかかった。「本部町伊豆見にピージャー食べに行かんか…」というのである。ピージャー=ヒージャージョーグー(上戸)とい…
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昔の新聞記者仲間がまた1人黄泉の国へ旅立ってしまった。去る6月17日の蒸し暑い日だった。無類の酒好きで私とは馬が合う友人で、お互いの仕事がそれぞれ終ると農連市場界隈やガーブー川沿いの屋台でよく飲んだものである。私達の青春…
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ご飯はお済みでしょうか。 今回は端から下品な話題に入ろうと思います…。居酒屋の雰囲気の中では毎晩のように常連仲間たちが泡盛を汲み交わしながら他愛ない話が延延と続くものでありますが、時として為になる話が出てくることもありま…
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朝夕さん酒に うぶりやいうすが 幾かたみ飲だが なまぬえーだに詠み人知らずのこの狂歌の大意を石垣長助学兄(故人)は小紙への玉稿の中で次のように解説している。「朝から晩まで酒におぼれ、ひたっているようだが、お前はこれまでど…
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小紙醸界飲料新聞が創刊されたのは沖縄がヤマトに復帰する3年前であった。題字は「譲界ニュース」で、1970年7月30日付の第8号から現在のタイトルに変わっている。創刊時の琉球泡盛製造業者は70場あった。新式焼酎業者が5場、…
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我が沖縄における酒類の変換の一端を眺めてみたい。1969年に私がデパート大越(旧沖縄三越、現HAPiNAHA、那覇市牧志)で調べた酒類の価格(小売り)帯は次のようになっている。勿論沖縄のドル時代である。1969年、デパー…
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沖縄でチュワカサー、タワカサーと昔からよく表現されているが、私はこれまでこの語意に確たる自信はなかった。チュワカシ、タワカシとは1沸、2沸であろうことまでは知っていた。しかし、どうしてそう言っているのか識者に何度か聞いた…
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