過去の記事一覧
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しつこいようだが、今回もまたクース談義をしてみたい。或る国産ウイスキーメーカーが以前週刊誌でこう述べていた。「ウイスキーは樽からびん詰めにすると熟成は止まる」というのである。つまり、びんの中ではもはや熟成はしないというこ…
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ここに紹介するのはクースジャキの極付である。昭和48年6月1日付の小紙第25号に「この酒、100歳です」の見出しで100年クース記事が載っている。トップリードに曰く「遠く琉球王朝時代から珍重されてきた琉球泡盛も何百年もの…
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【2005年3月号の続き】 松山王子尚順遺稿から男爵の古酒づくりの話をしてみたい。松山王子尚順遺稿 その1 「私が古酒を作り初めた動機と其法を話す事にしよう。私…
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クース(長期間貯蔵した熟成酒) 時代の到来である。県内外を問わず飲む人、たしなまない人も自分流のクースづくりが盛んである。地域によっては月に1回20人ぐらいが相集い、5,000円~10,000円を出し合いクジで当った人は…
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1982年1月25日付の小紙第64・65合併号に「琉球泡盛への提言」という見出しで、株式会社沖縄三越の当時の代表取締役専務だった安元誠四郎さんという方の寄稿文が掲載されている。その中で同氏は琉球泡盛は「先ず飲ませること」…
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敗戦後のわが沖縄に外から最初に入ってきたビールは確かキリンだった。清酒は月桂冠でウイスキーはVOだったと憶えている。勿論あの頃にはわがオリオンビールは未だ誕生していなかった。清涼飲料では断然コカコーラが真ッ先であった。泰…
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小紙第7号(創刊1周年記念号)に実に面白い座談会の記事が載っている。出席者は石川逢篤さん(元泡盛メーカーで戦後は琉球火災海上保険(株)社長)、佐久本政良さん(咲元酒造前社長)、花城清用さん(戦前の琉球新報記者で戦後は沖縄…
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S氏の玉稿昨年の11月、所用あって懐かしの沖縄を訪れた。海は相変わらずキレイであり、街なかの風情も昔のままに見えた。加えて、かつての同僚・知己の面々の私に対する友情の温かさには頭の下がる思いで、沖縄に勤務した、かの日のこ…
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【2004年9月号の続き】つい今さきまで、わが沖縄の名酒、琉球泡盛を審査していた酒類製造の技術を指導している、味覚に長けた先生方が目の前に居たのであった。沖縄が日本国に復帰した年に始まった泡盛鑑評会は、こういう専門家達に…
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琉球泡盛が売れない時代、つまり沖縄県民から“ 臭い”、“カライ”と嫌がられていた時代のことであるから、ふた昔以上も前の話である。その“ 臭い”の一因は、当時は冷温設備が施されていなかった、倉庫に積まれた原料米臭とも言われ…
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2022-8-6
今から20年以上も前の話。600年の歴史を誇る琉球泡盛に興味を持ち、観光客気分で泡盛蔵を巡り始めると…
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泡盛検定協会(会長:古賀桃子/事務局:泡盛新聞)は、令和4年5月8日(日)より、泡盛検定3級合格に向…
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泡盛新聞は、令和2年3月20日(金)、創刊50周年記念事業の一環として、台湾と沖縄を股にかけ活躍する…
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沖縄には「もあい」という制度があります。
簡単に言ってしまえば、定期的に開催される飲み会のことです…
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令和元年8月24日(土)、名護市真喜屋の水田にて、地元農家の指導の元、泡盛業界関係者が泡盛原料用長粒…
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平成30年10月30日(火)、久米島の久米仙(久米島町、島袋正也社長)、瑞泉酒造(那覇市、佐久本学社…
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