過去の記事一覧
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【2006年11月号の続き】ここに昭和53年2月1日付の小紙に「PTA」についてのコラムが掲載されている。ずい分昔のことであるが、書き手は那覇市立松島中学校の時のPTA会長、佐久田繁さんである。この人、本職は月間沖縄社の…
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【2006年10月号の続き】金城幸男 醸界新聞がよく25年間も頑張ったことに先ず敬意を表したい。またこの業界紙に協力して広告を出している業者にも同様に敬意を表します。が、この新聞を読みたいという人が居ますが、そこには配ら…
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【2006年9月号の続き】稲嶺盛園 仲村君、吾々が今泡盛泡盛いっていますが、例えばオリオンビールの創業者具志堅宗精さんの商魂を学ぶべきで、金城さんの話にもあるわけですが、僕が東京へ行った時、或る泡盛が4~5本並んでいる店…
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【2006年8月号からの続き】名嘉正八郎 護佐喜お宮ヘ4~5人で水筒持って行って飲んだ。カラワタ(空腹)にカラジャキ(肴なし)ですから、お宮の急階段が下りられない。大嶺実清君(現芸大教授)に担がれて帰ったが、あれが酔いの…
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今から14年前の19934年9月3日付第24号の本紙醸界飲料新聞に面白い記事が載っている。「創刊25周年記念“泡盛は宣伝が足りない”」という横見出しで4人の御方々の座談会がある。その模様を今号から紹介してみたい。出席者は…
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この推移から見ると、琉球泡盛は総移出数量で約10パーセントの減となっている。これについて又吉良秀県酒造組合連合会専務は次のように語っている。又吉良秀 「平成17年から県外で約10パーセント減っていますが、例の焼酎ブームも…
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今一度酒飲みの失敗談を書いてみたい。宮古の桟橋通りに「中山」という居酒屋がある。そこで菊之露酒屋の若い杜氏3人と泡盛を飲んだ。そして酔った。午後8時出港の琉球海運の船に乗るべく船へ急いだ。船へ行く途中の港内は真っ暗やみ。…
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「昭和13年6月15日、泡盛をぶら下げて遠く今帰仁村字謝名へ嫁をもらいに行った」・・・。これは人生波乱万丈に富んだ渡口彦一おやじが73歳のお祝いに『万年筆と共に歩んだ50年』という自叙伝の中に記した一文である。当日は三重…
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酒飲みの失敗談は誰しもひとつやふたつ位いはあるものである。昔の話。私には数えきれないほどあるが、この号あたりではそれの幾つかを紹介して赤恥をかきたい。沖縄県泡盛同好会の副会長だった座間味宗徳さんと八重山へ取材に行った時、…
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こんな小さな島ではあるが、与那国島で太平洋と東支那海では波は静かな所と荒い所に分かれていて、太平洋側は荒々しい。反面、東支那海側はそれこそ穏やかである。小さな島とはいえトゥングダー(田んぼ)、クブラバリ、それに最近脚光を…
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2025-9-17
沖縄県は、飲食店関係者を対象とした「琉球泡盛魅力発信キャンペーン」を令和7年9月から11月まで、東京…
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泡盛検定協会(会長:古賀桃子/事務局:泡盛新聞)は、令和4年5月8日(日)より、泡盛検定3級合格に向…
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泡盛新聞は、令和2年3月20日(金)、創刊50周年記念事業の一環として、台湾と沖縄を股にかけ活躍する…
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沖縄には「もあい」という制度があります。
簡単に言ってしまえば、定期的に開催される飲み会のことです…
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令和元年8月24日(土)、名護市真喜屋の水田にて、地元農家の指導の元、泡盛業界関係者が泡盛原料用長粒…
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平成30年10月30日(火)、久米島の久米仙(久米島町、島袋正也社長)、瑞泉酒造(那覇市、佐久本学社…
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