過去の記事一覧
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佐藤東男さんは後に全国卸売酒販組合中央会の専務理事に迎えられ、其処で敏腕を振るった。中央会とは文字通り全国の卸売酒販の組織のトップである。その時代に東京池袋の西武百貨店で初めて沖縄の大物産展が開催された。オキナワンドーナ…
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その頃の泡盛業界の実態はこうであった。一番売れゆきのよかったのが「瑞穂」と「瑞泉」であった。両者共現有の自社製造能力では販売数量を賄いきれず他の製造会社から樋買いをして、それに自社製造の酒をブレンドし、自社レッテルを貼…
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第2代目沖縄国税事務所所長になったのは佐藤東男さんであった。今から32~34年も前のことである。当時の沖縄国税事務所は那覇市美栄橋の今の沖縄銀行本店裏の比嘉ビルの2、3階にあった。第一回泡盛鑑評会はそこで開催されたが、ち…
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前号と前々号に新崎盛敏さんの「西武門節考」を小紙掲載から引用して紹介した。今号では氏の友人の金城唯温さんが「波之上界隈(かいわい)」を書いて下さっているので、ま、その続編みたいなカタチで小紙掲載号から引用してみたい。金城…
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戦災と戦後の世相の変転、地形の変貌、また年代の経過で辻と西武門の関係、特に〝西武門ヌウェマヤ、ウ伴サビラ〟を真意まで解し得る世代が少なくなった。やがて文字通りに表面だけの解釈に終わる時代が来そうな気配への防備を備えておこ…
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首里の方で初代東京泡盛同好会会長だった新崎盛敏さんというインテリが居た。新宿の泡盛居酒屋あたりでも一タ酌み交わしたこともあったが、長年東京に在りな がら幼年の頃のウチナーが実にはっきりと憶えていた。この人が面白い話を書い…
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国際通りの牧志交番所横からちょっと入った所の左側に、小料理店「小櫻」がある。つまりグランドオリオンの真後になる。この通り名を“龍宮通り”と称している。この店は、今年で開店52年にもなり、沖縄では最も古い老舗である。私がこ…
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【2007年2月号の続き】前号で宮里武秀さん(故人)の言葉に唖然としたと書いたが、それは泡盛酒が持つ全く未知の世界であり、せめてそれを汲んで1升びんに一杯詰めて県の工業試験場で分析をさせたかったからであった。その中にはど…
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今でこそ泡盛の原料はタイ米で沖縄産の米も若干使用しているが、38年前の小紙醸界飲料新聞の創刊の頃は唐芋やザラメが主原料であった。いや黒砂糖があった。わけでもザラメは長らく使用されていた。それの卸元は那覇市松山の卸問屋街の…
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何回でも書くが、昔は琉球泡盛の呼称を「シマーグヮー」と言っていた。これをウチナンチュウは自県産酒を蔑視して飲まなかった云々と敗戦後このかたの文献には書いている。これは読者や業界及び関係者も総てそのような見方をし又、そのよ…
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2025-9-17
沖縄県は、飲食店関係者を対象とした「琉球泡盛魅力発信キャンペーン」を令和7年9月から11月まで、東京…
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泡盛検定協会(会長:古賀桃子/事務局:泡盛新聞)は、令和4年5月8日(日)より、泡盛検定3級合格に向…
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泡盛新聞は、令和2年3月20日(金)、創刊50周年記念事業の一環として、台湾と沖縄を股にかけ活躍する…
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沖縄には「もあい」という制度があります。
簡単に言ってしまえば、定期的に開催される飲み会のことです…
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令和元年8月24日(土)、名護市真喜屋の水田にて、地元農家の指導の元、泡盛業界関係者が泡盛原料用長粒…
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平成30年10月30日(火)、久米島の久米仙(久米島町、島袋正也社長)、瑞泉酒造(那覇市、佐久本学社…
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