過去の記事一覧
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「昭和13年6月15日、泡盛をぶら下げて遠く今帰仁村字謝名へ嫁をもらいに行った」・・・。これは人生波乱万丈に富んだ渡口彦一おやじが73歳のお祝いに『万年筆と共に歩んだ50年』という自叙伝の中に記した一文である。当日は三重…
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酒飲みの失敗談は誰しもひとつやふたつ位いはあるものである。昔の話。私には数えきれないほどあるが、この号あたりではそれの幾つかを紹介して赤恥をかきたい。沖縄県泡盛同好会の副会長だった座間味宗徳さんと八重山へ取材に行った時、…
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こんな小さな島ではあるが、与那国島で太平洋と東支那海では波は静かな所と荒い所に分かれていて、太平洋側は荒々しい。反面、東支那海側はそれこそ穏やかである。小さな島とはいえトゥングダー(田んぼ)、クブラバリ、それに最近脚光を…
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【2006年1月号の続き】宿を「入福旅館」に定め夕飯をすませ、近くのスーパーから3合瓶詰めを買って小高い丘に登って独り夏の夜空に輝く星空を見ながらラッパ飲みを楽しんだ。水を忘れての泡盛は喉に泌みた。宮良高夫・宮良長方の名…
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戦前戦後を通じて初めて琉球泡盛をラジオで宣伝したのは瑞穂酒造である。勿論テレビもそうだが、テレビは瑞泉酒造が最初であった。“歌や首里節(すいぶし)、酒や瑞穂酒(みずふじやき)、昔(ん)から今(なま)に定(さだ)みやゆぎ”…
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【2005年12月号の続き】先ず順序としては本島北部の宜名間酒造所からいくべきであるが、「よもやま話」だからあちこち話は飛んでいく。日本国産のYS11が就航間もない頃だから今から38年も前の事になろうか。貧乏のドン底に喘…
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【2005年10月号の続き】私も琉球古典を少しは出来るので、那覇から水牛の角で作ったバチを持参して来ていたので、カメラバッグからそれを取り出して2~3曲弾きながら彼等の面白おかしい話につられてグイグイ。そのうちカチャーシ…
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【2005年9月号の続き】初めて国頭村の安波部落を訪ねたのは、今から34年も前のことであった。きっかけは「泡盛まさひろ」こと合資会社比嘉酒造(現まさひろ酒造株式会社)の比嘉昌広社長(故人)と同社長室での雑談であった。安波…
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沖縄がのどかで、人々がのびのびと生活を営んでいた時代、勿論軍靴の音も聞こえない戦前の古き良き時代の話・・・。瑞穂酒造の先々代社長、玉那覇有義さん(故人)から生前聞いた話によると、その頃のバサムチヤー(馬車引き)が現在の泡…
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神奈川の「泡盛文化の会」の仕掛け人、掛田勝朗さんからその発足当初から一度はぜひ横浜に来て泡感講話をして欲しい、との要望があった。ハイ、行くようにします、とその都度返事をしていたが、私は船での旅は楽しいがヒコーキでのそれは…
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2022-8-6
今から20年以上も前の話。600年の歴史を誇る琉球泡盛に興味を持ち、観光客気分で泡盛蔵を巡り始めると…
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泡盛検定協会(会長:古賀桃子/事務局:泡盛新聞)は、令和4年5月8日(日)より、泡盛検定3級合格に向…
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泡盛新聞は、令和2年3月20日(金)、創刊50周年記念事業の一環として、台湾と沖縄を股にかけ活躍する…
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沖縄には「もあい」という制度があります。
簡単に言ってしまえば、定期的に開催される飲み会のことです…
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令和元年8月24日(土)、名護市真喜屋の水田にて、地元農家の指導の元、泡盛業界関係者が泡盛原料用長粒…
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平成30年10月30日(火)、久米島の久米仙(久米島町、島袋正也社長)、瑞泉酒造(那覇市、佐久本学社…
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