過去の記事一覧
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【2007年2月号の続き】前号で宮里武秀さん(故人)の言葉に唖然としたと書いたが、それは泡盛酒が持つ全く未知の世界であり、せめてそれを汲んで1升びんに一杯詰めて県の工業試験場で分析をさせたかったからであった。その中にはど…
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今でこそ泡盛の原料はタイ米で沖縄産の米も若干使用しているが、38年前の小紙醸界飲料新聞の創刊の頃は唐芋やザラメが主原料であった。いや黒砂糖があった。わけでもザラメは長らく使用されていた。それの卸元は那覇市松山の卸問屋街の…
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何回でも書くが、昔は琉球泡盛の呼称を「シマーグヮー」と言っていた。これをウチナンチュウは自県産酒を蔑視して飲まなかった云々と敗戦後このかたの文献には書いている。これは読者や業界及び関係者も総てそのような見方をし又、そのよ…
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【2006年11月号の続き】ここに昭和53年2月1日付の小紙に「PTA」についてのコラムが掲載されている。ずい分昔のことであるが、書き手は那覇市立松島中学校の時のPTA会長、佐久田繁さんである。この人、本職は月間沖縄社の…
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【2006年10月号の続き】金城幸男 醸界新聞がよく25年間も頑張ったことに先ず敬意を表したい。またこの業界紙に協力して広告を出している業者にも同様に敬意を表します。が、この新聞を読みたいという人が居ますが、そこには配ら…
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【2006年9月号の続き】稲嶺盛園 仲村君、吾々が今泡盛泡盛いっていますが、例えばオリオンビールの創業者具志堅宗精さんの商魂を学ぶべきで、金城さんの話にもあるわけですが、僕が東京へ行った時、或る泡盛が4~5本並んでいる店…
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【2006年8月号からの続き】名嘉正八郎 護佐喜お宮ヘ4~5人で水筒持って行って飲んだ。カラワタ(空腹)にカラジャキ(肴なし)ですから、お宮の急階段が下りられない。大嶺実清君(現芸大教授)に担がれて帰ったが、あれが酔いの…
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今から14年前の19934年9月3日付第24号の本紙醸界飲料新聞に面白い記事が載っている。「創刊25周年記念“泡盛は宣伝が足りない”」という横見出しで4人の御方々の座談会がある。その模様を今号から紹介してみたい。出席者は…
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この推移から見ると、琉球泡盛は総移出数量で約10パーセントの減となっている。これについて又吉良秀県酒造組合連合会専務は次のように語っている。又吉良秀 「平成17年から県外で約10パーセント減っていますが、例の焼酎ブームも…
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今一度酒飲みの失敗談を書いてみたい。宮古の桟橋通りに「中山」という居酒屋がある。そこで菊之露酒屋の若い杜氏3人と泡盛を飲んだ。そして酔った。午後8時出港の琉球海運の船に乗るべく船へ急いだ。船へ行く途中の港内は真っ暗やみ。…
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2022-8-6
今から20年以上も前の話。600年の歴史を誇る琉球泡盛に興味を持ち、観光客気分で泡盛蔵を巡り始めると…
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泡盛検定協会(会長:古賀桃子/事務局:泡盛新聞)は、令和4年5月8日(日)より、泡盛検定3級合格に向…
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泡盛新聞は、令和2年3月20日(金)、創刊50周年記念事業の一環として、台湾と沖縄を股にかけ活躍する…
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沖縄には「もあい」という制度があります。
簡単に言ってしまえば、定期的に開催される飲み会のことです…
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令和元年8月24日(土)、名護市真喜屋の水田にて、地元農家の指導の元、泡盛業界関係者が泡盛原料用長粒…
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平成30年10月30日(火)、久米島の久米仙(久米島町、島袋正也社長)、瑞泉酒造(那覇市、佐久本学社…
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