【2006年11月号の続き】
ここに昭和53年2月1日付の小紙に「PTA」についてのコラムが掲載されている。ずい分昔のことであるが、書き手は那覇市立松島中学校の時のPTA会長、佐久田繁さんである。この人、本職は月間沖縄社の編集長で社長であった。
日刊紙記者時代はスクープ記者として同業他社をはるかにしのぐ存在であった。しかし後に月刊誌を自ら発行しても性格は変わらず妥協を好まない人間であった。こんな人間と私は組んで副会長にさせられた。
先生方ともだいぶ激論もしたし、泡盛も飲んだ間柄だったが、この人つい近年この世を去ってしまった。私にとっては遺稿ともいうべきこの一文を書いて故佐久田繁先輩への追悼文としたい。
2006年12月号掲載