【2003年4月号の続き】
八重山泡盛同好会は会長に新垣信行、副会長に黒島安典、伊波剛、事務局長に宮良用峯の各氏で発足した。那覇から高良一沖縄県泡盛同好会長、座間味宗徳副会長が自腹で飛んで来た。
また、着任早々「泡盛男」といわれていた佐藤東男沖縄国税事務所長と金城弘男関税係長もわざわざ激励にやって来ていた。
ひと通りのセレモニーが済み、あとは余興に移ったのであるが、最初に舞台に現れたのが新垣会長だった。
この人エーマでは〝スッとパッと”でつとに有名で、物事をさっさと片づける性格で、アノほうもさっと済ませる意味合も含んでいると、んまあ、これは飲み仲間が酔っ払ってから私にささやいた冗談であるが、とにかく気が早い御仁だった。
余興は自作自演、上下服は真っ白い出立で帽子もお揃いの格好で、
「船は出て行くよ サヨナラミーナートー」
を延々と舞う?のであるから会員たちは抱腹絶倒した。何しろ65歳の男が大まじめでやっているところに泡盛の世界があるのだ。
各地域の泡盛同好会の例会では余興として抽選会をやっているが、エーマのそれは群を抜いてデッカイ。
例えば、1等賞には牛1頭とか山羊1頭である。
美崎会館ホールでの例会では入口に繋がれた抽選用の山羊に向かって、だいぶ出来上がった会員がしゃがみこんで切々と〝説教″していたのが印象深い。
かと思うと年老いたおばーが小さな乳母車を押して会場を出たり入ったりしているのを見た。
よ~く見るとこのおばー、会場内のテーブルに並び置かれた泡盛を失敬して外に運んでいくのである。
この光景をまのあたりにした時、私はいいようのない寂しさで涙が出て反対側の闇夜に目をそむけた。
泡盛業界、酒類業界専門紙記者として各地域同好会の例会を取材する時、単にその会場内だけではなくいろんな角度からモノを見るのは1種の〝職業意識″或いは身についたクセである。
いっそのこと会場内でエーマの各メーカーの名酒泡盛を痛飲して桃源郷を彷徨っておけばよかった…、つくづくそう思った。
あの光景は終始私の脳裡から離れないであろう。「見なければよかった」。それにしてもなぜ?あの年老いたおばあが…。
さて、2次会で気分を晴らそう、と入ったところは石垣市内では当時1軒しかなかったおでん屋「モリ」。
カウンターで1杯ひっかけているところへ若い男性がいいあんばいに出来上がった顔して堂々と入ってきた。
マスターに向かって今先の例会場で配られた同好会の「規約書」をさも誇らしげに見せながら得々として語りかけているではないか。
「俺は今日から泡盛同好会員になったんだ」と。私は非常に嬉しかった。
そういえば会場内でスピーチしていた中年の紳士が
「毎晩女房から臭い、臭いと言われ続けてきたが、今晩からは胸を張って大きく息を吐いてやるぞー。こんな多勢の仲間が名酒ヤイマグシ愛好者が居るのだから勇気と元気が出るぞー」
と気炎を上げていた。
あの頃は泡盛のドン底時代であった。あれから28年も経つが八重山泡盛同好会は今も元気いっぱいに頑張っている。
泡盛の〝頬かむり″も取っ払った。この頼もしい仲間たちと八重山産泡盛の発展を心から願うものである。
この稿を書くのに初代会長の新垣信行ヤッチーに電話を入れてみた。
応対したのは三女であった。
現在、スッとパッとのヤッチーは今年93歳、八重山厚生園で余生を楽しんでいる、と娘さんが教えて下さった。
シンコウさん!あなたの功績は偉大です。お元気で。
2003年5月号掲載
※エーマ
八重山のこと。なお八重山とは、石垣島、竹富島、小浜島、黒島、新城島(上地島、下地島)、西表島、由布島、鳩間島、波照間島の石西礁湖周辺の島々の総称です。