去る4月のユカルヒ(吉日)に自宅床下に貯蔵してあるクースガーミ(古酒甕)たちを庭先に並べて周囲をキレイに拭いて『日光浴』をさせた。実に久しぶりであった。
ついでにクースにうるさい酒友5人を招いて一緒に味見をしたのであるが、その中の5升壺1本がどうも悪臭を放ち文字通り鼻持ちならない臭気があたり一面に漂った。
並み居るわが酒友たちと共に愕然とした。30年近くも開けずに置いた自分を恥じ大いに反省した。
クースづくりの第一人者「尚順男爵」は昭和13年の月刊琉球誌で次のように述べている。
「クース壺はたまに揺り、時として自分で味見をし珍客にも振舞いなさいと。この鉄則を怠った私の無責任極まりない罪は大きいといわなければならない。」と。
話は戻るが、実はこの壺の前の『主(あるじ)』は味噌だったのである。クースは褐色をおび腐った味噌の臭いがプンプンしたのであった。
勿体ない思いもしたが即家の前の溝に捨てた。後日、この事をラジオ沖縄のベテランアナ屋良悦子ねーちゃんに話したら、料理に使えよったのによーと嘆いていたが、あの悪臭には勝てなかった。
40年近くにわたりコツコツと貯めた泡盛の甕入りは14本を数える。5升壺、1斗壺、2斗壺とあるが、それたちをみんな開けて味見をしたのであるが、この味噌壺以外は『上等のクース』と折り紙がついてホッといしている。
45年間ひたすらクースづくりに励んでいる本部町字谷茶の謝花良政さんはこう語っている。
「最初の頃は何度も失敗をしてきた。試行錯誤をくり返しながら現在に到達した。今では絶対に失敗をしない自信がある。クースづくりは10人中10人皆違うものなんです」
なるほど、である。クースを育てるということは非常に簡単のようで実は奥が深いことを今回の『事件』でつくづく思い知らされた。
この味噌壺、外観はすこぶる上品でおとなしい型をしていて観賞用としては一級品と私は思っている。
沖縄では昔は素焼きの壺は、水がめ、塩壺、味噌壺、黒砂糖壺、油壺、スーチキー(豚の肉骨を塩漬けにする)壺等々いろいろとあった。いわゆる庶民の生活と密着した必需品として存在していた。
酒友の話によれば塩や味噌で馴らされた壺に泡盛を詰めて置くと、2,3年はどうということないが、4~5年目あたりから塩や味噌のエキスを泡盛が引き出して同化させるというのだから泡盛の力はすごい。
私の壺には喜納焼き、シャム南ばん、中国南ばん、壺屋焼き、台湾壺とあるがいずれもしたたかに汗をかいて求めてきたものである。
これらは私にとっての宝物であり、寂しい時、悲しい時に勇気を与えてくれる最愛の『酒友』である。
ま、クースづくりのひとくさりを述べたつもりであるが、根気の業ではあると思う。年代ものの壺ほど重宝ではあるが、昔この壺は何に使用されていたのか、このあたりをしっかりと確かめなくてはいけない。
それに徹底した脱臭、消毒、漏れのテストは是非しなければクースづくりは失敗する。
クースづくりのこの基本についてはその道の専門家にご高説を拝聴しているので詳しくは次号で紹介したい。
え?あの味噌壺はどうしたんですかって。
庭の横に水をいっぱい張ってヒンナンギテ(放ったらかして)あるんですよ。あと5~6年間は水を切ったり満たしたりしてその後今1度テストをしてみたい、と考えているんだけどどうなることやら。
2001年7月号掲載