戦争中のアルコール不足と砂糖不足は極端であった。「山寺の和尚さん」ではないが、「酒はのみたし、酒はなし」であった。貴重な配給券を手に、長い行列をして酒を買った思い出のある人々は案外多いのではなかろうか。
防空壕の中で、食べ物の話ばかりをしている人、饅頭の夢をみたという人、食べ物が極度に不足すると人間は他愛もなく、喜劇のようなことをするのを体験した人も多いと思われる。その喜劇的な体験の1つでもある。
水、紅茶、「ウイスキーの素」と称する香水とアルコールと混合させるだけの安物ウイスキーやカストリと称される焼酎が、街に氾濫していたころ、戦後間もなくの頃であるが、戦争中泣かされた辛党が考えたのかもしれないが、こともあろうにメチル・アルコールにまで手を出した。
1日の労働に疲労した体にまわるアルコールの酔いは心地よいものであるが、4人が車座になって、たちまちカストリ1升瓶を平らげ、誰れともなく不足を訴えた。ないものはない。しかし40がらみの親爺が、工場内に酒らしいのがあったといって、妙なビンを持ち出してきた。
今から考えると塩酸とか硫酸とかを入れるビンの形であったが、この液体を飲もうというのである。みんな相当酔っていたので、酒の勢いというのであろうか、このアルコールの匂いのする液体を飲んだわけである。
1人はすぐ気分が悪くなり、全部吐いてしまったので事なきを得たのであるが、あとの3人は酷く悪酔いをして、噂にきけば翌朝眼が見えなくなったという。あまりの恐ろしさに、再び相見えることはなかったが、事実は確認していないので、失明したかどうか定かではない。
戦後の人心荒廃とはいえ、今から考えると酒地獄の鬼どものような仕業である。世の中が平和で豊かになると、辛党も平和になってくる。これは世の中が落ち着いてきた証拠ではないかとも思う。
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