八重泉酒造のハブ酒造り
前書きはさておき、先島にハブ酒づくりの名人がいると云うことで、本紙ではそのハブ酒づくりの秘法や効用について取材するため、八重山のはぶ酒本舗“八重泉酒造工場(代表者 座喜味盛光氏)を訪ねてみた。石垣港からはつい目と鼻の先、石垣島空港からでもタクシーで僅か十分足らずの処に八重泉酒造工場はある。
詳しく石垣市字石垣258番地が所在地であるが、記者も始め好奇心が多分に先走っての取材行ではあったが、訪れあれこれ説明を聞いていくうちに、その薬酒としての広範囲な用途、ハブそのもののもつ特異性等が改めて認識させられ次第である。以下は“毒を変じて妙薬となし”害虫駆除にも大きく貢献していると云う世にもキケン度の高いハブ酒づくりの報告とエピソードである。
ハブ酒の歴史とつくり方
目と口の中間あたりやや下方に小さな凹んだ穴があるのが、一般的に毒蛇の特徴だと云われている。この猛毒のハブも、その土地によって色が異なり、此処八重山のハブは赤味がかっているのが特徴である。
ハブの権威者である琉球大学教授農学博士、高良鉄夫氏の話によると、八重山群島に生息するハブは、先島ハブと云って、赤と黄味がかったのがおり、毒は沖縄本島ハブより少ないと云っており、先島ハブに咬まれて死んだ例は非常に少ないと云う。しかし、これはあくまで例であって、猛毒ハブに変わりはない。
又、奄美大島ハブは赤味と褐色をしているが、いずれも同一種だと云う。又同教授は、ハブの生命力について、水だけ飲まして9ヶ月間は生き、何も食べさせないでも6~7ヶ月は生きると云う。
ハブの消化力については、ネズミ等は呑んで2週間では消化すると云う。ハブが赤いベロを出すのは、夜行性動物だから、その舌が臭覚のの役目になり、舌でテキがどこにいるかを確かめると云う。
その舌が2つに割れているのも特異である。歯は左右に各々3本ずつあり、前歯所謂(いわゆる)毒歯は各々左右に2本づつもっているが、更に左右にあと1本ずつの毒歯を秘めており、折れた場合のスペアだと座喜味氏は説明する。
ハブの特異性
ハブ酒の歴史は古く、中国ではおよそ数千年前からすでに作られていたようであるが、吾が沖縄でも、数百年前から薬用酒として珍重されていたようである。
ここ八重泉酒造では、常時300匹の生きたハブをビニール袋に入れて置いてある。同工場内に入ると、異様な臭いがプーンと鼻にくる。全く吾々素人がこの光景を眺めていると、幼い時からのハブに対する先入観から身震いするような奇異な光景である。
先ずハブ取り人から買い受けたハブをこうして3ヶ月位袋に入れて置いて、それから1週間位水に漬けて置き、水から出すと1人は首根っこをしっかりつかまえ、1人が胃と腸の間辺から下に向けてウンと絞って汚物をケツから排泄させ、その次に前回の作業同様2人がかりで洗剤をかけてタワシでゴシゴシ外部を洗い流す。(いわゆる大の人間様2人がかりで入浴させている訳ですな)
その後45度~50度の泡盛に入れる訳だが、勢いのいい若いハブの中には入浴中に毒をピッと吐き出すのもいると云う。事実、此の作乗中ここの従業員が目に毒をかけられて、あわやと云う時もあったが、眼科の専門医に急行して事なきを得たと云う例もある。
話は横道にそれたが、何故45度~50度の泡盛に入れるかと云うと、30度~35度(一般市販酒)ものでは腐敗するし、かと云って度数の高い90度~100度ものではな硬直状態になって、エキスが十分に絞り出せないからだと云う。
その適度の酒にポイと入れるとハブは十分前後苦し紛れに毒を吐いて死ぬが、それをすぐとり出して、今度は口に上戸を当てて酒を流し込み(大体1合以上入ると云う)腸内を洗浄する訳だが、その場合、尻尾をつかまえてパッと逆さにすると、腸内の残りモノが出て来るが、これを2~3回繰り返す此の殺菌作業が一番肝心だと云う。
又、話は少し前戻りするが、洗って適度の泡盛に入れる時でも非常に危険が伴うようだ。老いた大きなハブは動作が鈍くて扱い易いが、時として小さな若ハブは一寸でも首根から間隔があるとプイと振り向いて咬むと云う。
もう1人のここの従業員は、その容器に入れようとした瞬間指を咬まれ、どうしてもカギ状の毒歯は指から抜けずエイッとばかり力いっぱい手を振ってようやく地面にハブをたたきつけて抜いたと云うが、すぐさま八重山病院に治療にいき通院もしたが、しつこい毒はとうとつ指切りと云う最悪事態にまで陥り、医者が指を切らなければならないと云うし、この従業員は片輪になるのは嫌だと云うし、ジレンマに立たされた座喜味氏は思案の揚句、ハブの油を毎日患部に塗り変えしたら、除々に熱が下り患部のハレもひき、指切断は免れて暫くして治ったと氏は当時を述懐する。げに危険なハブ酒造りではある・・・。
殺菌作業が終わると、先の毒入り容器に入れてそれに麹菌を入れ(ハブ酒を熟成させる発酵素になる)密閉して日光の当らない場所に置いて、後は熟成を待てばよい訳である。自家用酒としてば5~6年経てば臭いがなくなり、申し分ない薬酒となる。
理想としては8年経てば特級酒だと云う。とにかく素人のハブ酒づくりほど危険なものはないと繰り返す氏は初歩の段階で二度もあわやと云う事態を経験してきているだけに、現在では自他共に認める沖縄一のハブ酒づくりの名人と云えよう。いや日本一だろう。
エピソード①
或る日、八重泉酒造場に5人のお客さんがみえてハブ酒を賞味させたところ、その中の4人はうまそうに飲んだが、残りの1人は首をヨコに振ってどうしても飲まなかったと云うが、しばらく日時が経ってから此の人が1人でやってきて飲みたいと云い出して飲ませたら、おかわりまでしてうまそうに飲んでいるのを氏は見て、その訳を聞いてみると、自分は喘息持ちで他人にハブ酒が効くと薦められ、自分でハブ酒をつくって飲んだが、この味ではなく腐った匂いだったが、喘息のクスリと云うことでガマンして飲んだ、あの時の嫌な匂いと濁った酒の先入観があって、前日は遠慮したんだと話していたと云うが、これ等は氏が指摘する素人づくりのキケンな一例だと云えよう。
エピソード②
那覇市内で働いている或る職人さんは、通勤だが昼食はその店で毎日食べていると云うが、たまたまそこの主人がハブ酒を買ってきて、毎日少量ずつ2人で飲んで仕事に励んでいるところへ、この職人さんの奥さんが店に訪れてきて、そこの主人に云うには、お宅では毎日どんなごちそうを主人にあげているんでしょうかと薮から棒に聞いたものだから、そこの主人も何のことやらあまりにも突飛な質問に度胆を抜かれたそうだが、よくこの奥さんの訳を聞いていくうちに、この店の主人もハハーンと思い当たり、説明これつとめたと云うが、今では夫婦仲良くハブ酒を飲んでは人生最大の歓びを分かち合っていると云う微笑ましい実話もある。
エピソード③
ハブ油の効用の一席である、或るコウ丸炎を患った70余才のオジイさ、もて余し気味の、自分のモノとは思えない位大きくなったヤツを思い切って病院で切開させた処、順調に回復するかに見えたが、最後の小指位のキズロが膿を出し一向によくならず、病院通いもすし、産婆のところにまで通って駐車をさせるやら、あの薬局、この薬局と歩いてはクスリを買ってつけてみるが、一向に良くならないので、或る人の推めで座喜味氏のところに尋ねてきたので、ハブ油を一回分あげたら、2~3回でケロッと治り、座喜味氏のところに御礼に来たと云う。ガマの油ならぬハブ油効用の実例である。
まとめ
以上のようにハブ酒の効用やエピソードは枚挙に暇がない程、氏自身から取材して来たが、ページ数が足りず割愛させていただくことは非常に残念である。
最後に此のようにキケンの伴うハブ酒、今や人気は上昇する一方である。記者が取材中もひっきりなしに本土の観光客や学生の訪問で氏の奥さんがハブ酒の鋭明に汗だくの状態であった。
そう云えば、ここの奥さんが又ベッピンときている。やっぱりハブ酒の効用だと記者は勘ぐったが・・・。
現在ここで仕込まれているハブは、ざっと計算してみたら200~300匹位いである。2斗甕に50匹ずつ仕込まれたのと、2升瓶に2匹ずつ仕込まれたのを合計した数字であるが、いずれも商品化できる段階まできている熟成ものばかりであり、座喜味氏は文字通りハブ酒を完全に商道に乗せた沖縄で唯一の人間である。
同時に沖縄の観光開発に大きく貢献している第一人者と云えよう。氏は将来の構想として、ハブの養殖も巻えていると云うが、不可能ま話ではあるまい。科学技術の進歩が目覚ましいので、将来は厳重な施設を広範な自然原野に生かすのも一方法として考えられよう。もしそう云った施設が氏によって開発されたら、大きな観光収入源になるのは請け合いであろう。
琉大の高良教授も指摘するように、今後はハブ探知器みたいなのができて、ハブがどこにいるか簡単にわかるようにでもなれば、いよいよ数は減少していくし、需要は年々増大していくしでは、どうしても養殖も考えなくては間に合いそうにない。
そうにでもなれば、吾々一般ハブ恐怖症者にとっては、この上ない有難い話しである。ハブ酒は特に結果、喘息、冷え症、産後回復、慢性胃腸病、女性の肌荒れ等によいと云われているが、適量はウイスキーグラスの一杯を毎日たしなむと効果がある由、又コーラで割って飲むのもよろしい(スネークコクとでも名付けられようか)。
その他にも、昭和43年8月9日付けで、東京都立衛生研究所で定量分析させた結果、エキスが100cc中3.87gと云う成績が出たことや、氏のハブ酒づくりの動き、又、去年石垣市と姉妹都市を結んでいる岡崎市で八重山の見本市を聞いたら、ハブ酒が本当にアッと云う間に売り切れてしまったと云う話、最近糸洲主税局長が視察にきて、良い着想だと褒められた事や、最初の頃自分の妻が夜中にトイレに行く途中逃げ出したハブを見て悲鳴をあげた話、戦前、結核にハブ酒を飲まして一時は発熱したが、1週間位でケロリと治って感謝された姉の話、又、琉球泡盛産業KKの専務、新里氏のハブ料理賞味談、記者自身のハブ料理賞味感、ハブ酒試飲談等、まだまだ他にも色々メモに記されているが、紙面の都合で紹介できないのは返す返すも残念でならない。
次の第2回の企画を立て直して、必ず今年中にもっと詳細にわたって読者に紹介することを約束しておきたい。