- Home
- 1969年 11月
アーカイブ:1969年 11月
-
琉球泡盛 地方観光ホテルから要請 山陰地方にも人気(昭和44年11月1日)
沖縄の各企業は1972年本土復帰は現実の問題として受け止めており、その対策に苦慮している現状にあるが、ここに泡盛業界にとっては朗報がもたらされている。本紙第3号で既報のとおり、大阪万博に琉球泡盛が出展される訳だが、今度は… -
人の酒(昭和44年11月1日)
飲んでうたって踊ったが、翌日その店の名を聞かれてぼくは返事にこまった。人の酒ばかりを飲んで歩いているので、店の名などいらないのだ。ご存知、山之口貘氏の有名の詩だが、私はこの詩をこよなく愛し、よく口にしている。 我々マス… -
醸界風土記④ ウイスキー(昭和44年11月1日)
今回はウヰスキー業者を訪れてみることにした。とは言っても、ここ合資会社諸見里酒造工場(社長諸見里勇氏)の場合は乙類免許(泡盛造りの免許)で発足したメーカーである。1949年1月、具志川村現具志川市字喜屋武に父藩戸氏(19… -
本土、ビール1人当たり消費量、昭和43年度は前年比で減(昭和44年11月1日)
ビール酒造組合がこの程調査した昭和42年と43年度の国民1人当りのビール消費数量(大瓶換算)をみると、昭和42年には37.9本であったのが、昭和43年には37.3本と僅か0.6本とはいえ減少している。これを国税局別に分類… -
あわもりや物語 その2(昭和44年11月1日)
昭和15~16年の京都の泡盛屋は、概して、つの型があったが、これも大阪に本店をもつ大阪流の店構えで、今で云えばインテリアデザインといえないこともない。いかにも泡盛屋らしい店構えであった。巾二間半ぐらいのあまり広くない店、… -
瑞穂酒造が本土復帰にそなえ鹿児島へ先制(昭和44年11月1日)
沖縄酒類醸造株式会社、通称瑞穂酒造(社長 玉那覇有義氏)では、かねてから本土復帰に備え市場の拡大を本土に求めるべく、その対策を検討中であったが、此の程、玉那覇社長が上鹿し、琉球泡盛株式会社(鹿児島在)と最終的契約を結び、… -
醸試、本年から指導する?~防腐剤ヌキの清酒~(昭和44年11月1日)
清酒業界では過年度来より清酒に使用している防腐剤について、これが法則的に使用が認められているとはいえ、一般的に注目を浴びるようになってきたため、自主的に使用を差し控える動きが一部の業者にみられるようになってきた。この防腐… -
11月3日、第4回首里文化祭(昭和44年11月1日)
首里文化祭は今年で迎えて第4回目であるが、今や大学祭と並んで首里名物の一つになっている。今年も11月3日の文化の日から小中校生の旗行列、小学生のソフトボール大会、組踊り古典映写会、花火大会等盛りたくさんの行事で賑わうが、… -
沖縄黎明工場が万博出展祝賀パーティー(昭和44年11月1日)
沖縄黎明工場(社長・安田繁史氏)では同社製品の日本酒“黎明”が来る1970年3月から開催される日本大阪万国博に出展されるのを契機に、去る10月22日、29日の両日に且つて盛大な祝賀パーティ―を中部のコザパレスで催している…