30年間で19場が廃業 ~原料にはキューバのザラメも~

   

小紙が去る5月で創刊30年を迎えた。紆余曲折の30年であった。創刊時は65の泡盛製造工場があった。その間に本島北部だけでも6場が廃業に追い込まれている。県下では実に19場と覚えている。その創業者たちの悲壮な顔が瞼に浮かぶこの頃である。1999_08_awamoriyomoyama_kyuba_zarame

あの頃は種こうじも出来のいい工場から分け合って製造していたが、原料米も乏しく酒原料はキューバ産の黄色のザラメを使用する工場もあった。したがって各工場に製品のばらつきが見られ、この風味はどこそこの酒だと当てたものである。 泡盛が飛躍的に品質が改良され出したのは沖縄がヤマトに復帰した27年前からである。それまでは各自が手探りでの造りだった。

醸造技術が改革され金融機関も長期貯蔵のための設備に制度資金等を融資できるようになった。それまでは銀行もカネを貸さなかった。 泡盛製造業者の中には真剣に転業を考えた人々もいた。1業者で月販高150~200石(約27~36kℓ)出ればビッグニュースものであった。 トータルでは年間販売数量が3万5000石(約631kℓ)を上下した時代だから、頷けるであろう。

当然、小紙の台所事情は最悪だった。広告の出稿がなかなか集まらず、苦しんだ。吹けば飛ぶような弱小業界紙であってみれば所詮致し方のない事ではあった。コンスタントに発行すればするほど赤字を積んだ。もうやめようか、と幾度も考えた。あれから30年後の今日の琉球泡盛の年間総移出数量は11万1122石(約20,041kℓ・平成10年度、県酒連調べ)と約4倍に近づこうとしている。 感無量である。そして酒類関係業界や一般消費者に小紙の存在が認められたことが何よりも嬉しい。

30代で創刊した人間も60余歳と馬齢を重ねた。今考えると人生への大きな冒険であった。しかし最早悔いは更々ない。泡盛の11万石強の年間販売数量は、九州の1焼酎メーカーの足元にも遠く及ばない数字ではあるが、日本全国の人々が琉球泡盛を見直しつつあることは、誠に心強い。

沖縄県民は勿論家庭や料飲店あたりでも堂々と胸を張って愛飲している姿を見ると隔世の感がする。琉球泡盛は今後更に多種多様な製品が出てくるであろう。 メーカーが一致協力して販売戦略を練って、本土市場や世界に進出して欲しい。その日は決して遠くはないと信ずる。30年の足跡を自画自賛しつつ、先ずはせめて500億円産業になることをメーカーに期待したい。

※1石=約180ℓ

1999年8月号掲載

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