1982年1月25日付の小紙第64・65合併号に「琉球泡盛への提言」という見出しで、
株式会社沖縄三越の当時の代表取締役専務だった安元誠四郎さんという方の寄稿文が掲載されている。
その中で同氏は琉球泡盛は「先ず飲ませること」だと説いている。安元さんは三越本社から沖縄に赴任して3年6ヶ月になっていたが或る晩、首里物産の宇根底講順社長と3人一緒に那覇市松山の料飲店で飯を食べながら泡盛を飲んでよもやま話をした時のことである。
安元さんの含蓄あるお話はまだまだ続くのであるが割愛したい。松山の料飲店で相当出来上がった頃に私は提案してみた。「毎年元日に三越前でやっている振る舞い酒を泡盛でやったらどうでしょうか」と。安元さんは「検討に値する発言ですね」。
翌年の元日から琉球泡盛を25度にして2斗樽で振舞い、現在に至っている。福岡のご出身で後に三越の岡山店に転勤されて行ったが、向こうに行かれてからも沖縄を愛し、泡盛を愛し続けた。
沖縄の物産展を開催してくれたのもこの人であった。「いい酒は、いい容器と結婚します。私共の店では物産展などで他県から来る人々のパーティーには酒はオール泡盛で、ビールはオリオンです。私情を投げて、もっともっと沖縄を売らなければ、と私は常々思っている。ウチナンチュウが造ったこんなすばらしい泡盛がもっと伸びなければウソです。私は心の底からそう信じ込んでいるヤマトウンチュウである」。
したたかなまでに沖縄に情熱を注いでくれた安元さんは今頃はどうしておられるであろうか。
2005年2月号掲載