頭髪にポマード無く豚油~50年ぶりの同級生会~

   

「朝日に映ゆる嘉津宇岳恩納の峰はほのぼのと堪ふる影も名護浦の松の縁のこきところ」

awamori_yomoyama_25_nago_douki_kaiで始まるわが母校名護高校の校歌を実に50年ぶりに高歌放吟(こうかほうぎん)した。1950年3月に卒業して今年で50年の歳月が流れている。去る11月15日、大きな節目の50周年記念の同期生会が開かれた。

場所は万国津梁館で盛大に催されたのであるが、この長い年月にはかつての童顔の面影は殆ど見当たらず、胸のネームプレートでようやく思い出す級友が多かった。

アタマの半分以上がカオになっていたり、ウスクブ(頭の後)にやっと2,3本の毛がゆらいでいたり、名護湾の潮水で造った真っ白い塩を頭いっぱいにかぶっている者等々百人百様だった。

しかし、式典が済んで祝宴が始まると不思議なことに皆昔日のニキビ面に変っていったのである。

思えば入学したのが1946年だから敗戦直後のことである。今の6・3・3制が実施されたのは旧制3年の時で、従って私達は4年間の学生生活を送った。

その大半を寮生活で過ごした。その寄宿代が月に朝鮮カマジー(叺)一袋の唐芋と6斤缶いっぱいの味噌であった。

最上生になってはじめて長髪で通したが、笑えない話がある。いや、おかしくて笑える話だ。整髪するポマードが無く、豚油を塗りたくったものである。雨にぬれるとその悪臭が周囲にぷんぷん放ち学友たちから嫌がられた。

親友にIK君というハンサムな好少年が居た。彼の髪は自然パーマで縮れ毛だった。その髪を肩まで伸ばして意気揚々としていた。勿論女生徒にもてた。実にうらやましかった。

その彼とも同級生会場で約50年ぶりに再会した。昔日の面影は残るが髪形はすっかり変っていた。なんでも大病を患った後ということで、声に張はなかったが語り口は昔のままでユーモアも衰えてはいなかった。

酒は現在〝休憩中″と語っていたが、北部の泡盛ではどこそこの酒がうまいとその〝通″ぶりを発揮していた。教師で定年退職しているのであるから現職中は酒の交際もさぞ多かったであろう。

彼曰く「一晩3合飲むとして1ヶ月で9升、1年ではドラム缶1本分。体調が完全に回復したら残りの分を飲むつもりだ」と意気軒昂ぶりなところを見せていた。

同期生は一生の友であり、時として心の糧となる。この50年の間には304人の同期生中49人が黄泉のくにに旅立ってしまっている。中にはこの同期生会を目前にして急逝した学友もいる。

織田信長は人生50年といったが、それは遠い昔々の話で、現在では80,90と大幅に寿命は延びている。「盛年重ねて来らず」ではあるが、こらからの人生はホドホドに飲んで早寝早起きをして健康に十分留意したい。と、思うのであるが・・・。名護高校の5期卒の同期生に幸いあれ!かんぱーい。

由来山北驍健と名だたる誉既にあり 
流れを汲める我等また意気と力に張りみちて
理想の道をひとすじに
世に魁けて進まなん
作詞・島袋 全幸 
作曲・渡久地 政一

2001年1月号掲載

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