古酒は多量に作ることだ~奥が深くて決して簡単でない~

   

awamori_yomoyama_75_matsuyama-prince-syoujyunn_kosyu-make-method_posthumous-manuscripts【2005年3月号の続き】
松山王子尚順遺稿から男爵の古酒づくりの話をしてみたい。

 

 

 

 

 

松山王子尚順遺稿 その1

「私が古酒を作り初めた動機と其法を話す事にしよう。

私共の20台の頃迄は、伝来のよい古酒を貯蔵している旧家や、大小名は相当あったが、なにしろ今話した様に古酒御馳走の儀礼が馬鹿にケチ臭く、窮屈なのには随分当てられた上に、古酒を飲んだ後の酒と来たら、迚(とて)も不味くって飲まれるものではない。

夫で私は考えた・・・此は古酒を人に御馳走するには、相当飲ましても差支えなき量はなければならぬ。尠くとも一時に23合は出しても、財源否酒源を枯渇せしめぬ準備がなければ、今の様では単に古酒自慢と云う丈になって、御馳走にはならぬ。

若し今後自分が古酒を持つなら、時と場合には23合は愚か、45合も一気に出す位は作って置かねばならんと痛感したが、初多量の古酒を得る段になると是非共親酒(アヒアー)を多く持たねばならない」

(原文そのまま)。

男爵はそのアヒアーを集める苦労をこう述べている。

松山王子尚順遺稿 その2

「その頃古酒を貰うという事は(今日も同様だが)、余程厚意的に先ず23合位が関の山にて、夫も1番が1合、2番が1合、3番が1合、乃至2合という如く貰い受ける事が出来たら上出来の方である。

殊に良い貯蔵酒だと折り紙の付いた大名等の酒だったら、とても金などでは換えない代物だ。

それでも大焼香や祝儀などの時、どうしてもという場合、特別に買い入れる相場は、100年位い経つ古酒が1合で1円、200年古酒が1合2円、300百年古酒が3円という評判だった。

・・・首里山川の真栄城家の古酒は1合5円だった。

・・・或る家から買った小瓶入りの古酒は30円だったが、酒は5合弱しかなかった。」

と述べている。

これは昭和13年代に「月刊琉球」に掲載された文章である。私はそのぐだりにすごく興味を抱いて日銀の那覇支店に電話で聞いてみた。その頃の金銭価値は現在のいくら位いに相当するかが知りたかったのだが、あまり要領を得なかった。今でも私はそのことは知りたい。

さて、男爵は古酒を作る順序として、「先ず良い瓶を求めること。良いアヒアーを気長く5勺なり1合なりを集め、これが23升出来たら親瓶を殖す2番3番の酒も用意しないといけない。これは仕次といって古酒を作るにはぜひ共なくてはならない必要品である」と説いている。

男爵がここでいうアヒアー(親酒)とは沖縄の方言では種豚などにも表現されるが、要するに元酒、原酒のことで、最も古い長期間貯蔵したクースと理解すればよい。

私がこの遺稿を何度もくり返し返し読んで残念でならないのは、その時代に大名や小名家
や漢方医やウェーキンチュ(金持ち)たちが家宝として持っていたクース(古酒)を貯えていたその容器は何焼きだったのかを書いてないことである。

シャム南ばんだったのか、壷屋の素焼きだったのか、はたまた古我知か、知花か、喜納焼き壺だったのか等々、それぞれの古酒の容器には触れていない。

私がしつこく知りたがっているのは、私の経験からすると古酒はその容器によっても熟成のテンポも違ってくるし、容器臭つまりその壷によっては土の臭いが出てくることもある。また、微妙に酒の欠減も違ってくる。

ともあれ現在の泡盛はしっかりしているから、自分の好きな43度の市販酒を買って5升壷なり1斗壷なりを求めて詰め、時の流れを気長に待てばよいと、まぁ私は思う。しかし、男爵のお説は基本的に頭の中で十分に吟味する必要がある。

古酒づくりは非常に簡単のようだが奥が深い、ということを肝に銘じて欲しい、と思う。

2005年4月号掲載

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